「そう――丁度皆さんいらっしゃるのね。是非お会いしたいわ」
客室に出向けばいいのか、と腰をあげるアルマをヴィータが押しとどめる。「呼んで来ます」と言い残して、鉄槌の騎士はクラウスの部屋を出て行った。
「可愛らしい子ね。じっとしてるとお人形さんみたい」
「普段はもっと元気がいいんだけどね。姉さんがいて、ちょっと緊張してるのかな」
「他にも三人いらっしゃるとか。どんな方たちなの?」
「うーん、大雑把に言って、研究仲間、かな。しばらくの間、ここに滞在してもらってて、薬学とか、魔術とか、色々教えてもらってる」
「それは良いわね。クラウスはあんまり外に出ようとしないから、そういった方たちがいるのは刺激になるわ」
クラウスの嘘を、アルマは嬉しそうに聞いた。
人を信じて受け入れる、竹を割ったようなまっすぐな性格。兄とは少し違う気質は、しかしやはりクラウスの尊敬の対象だった。兄か姉のどちらかに似ていれば、自分はもっと色んなことをしているだろうと彼は思う。
「それぞれがどんな人かは、会えばすぐに分かるよ。姉さんならうまくやっていけると思う」
「もちろんよ。貴方が信頼してるお友達ですものね」
彼女は弟を見てふわりと笑う。花咲くような笑顔だった。
第5話 誓いの十字架 総勢六人となったクラウスの部屋は、まだ十分な余裕がある。それでも、普段に比べて随分とにぎやかだった。
「ふぇー、クラウス様、意外とわんぱくだったんですね……」
「そうよ。野草摘みに魚とり。一日追いかけっこをしたこともあったわね。この子ったら、私に負けないようにって、泣きそうになりながらトテトテ走ってたんだから」
姉の暴露話に、シャマルが目を丸くし、シグナムやザフィーラはしげしげとクラウスを見つめる。別に隠すようなことではないのだが、何故だか非常に気恥ずかしかった。
「姉さんの方がずっとやんちゃだったんじゃないか。女の子たちが楽器を習ってる中、抜け出すのなんて姉さんくらいだったよ」
「仕方がないわ。人には得手不得手があるんだもの。私をピアノの前に座らせるなんて、熊に裁縫を要求するようなものよ」
アルマは悪びれもせずに自分の素行を認めるが、その熊さんは、随分と裁縫上手であることをクラウスは知っている。技術の吸収という意味で言うならば、彼の姉は同じ年頃の女の子の中でも群を抜いていた。教師も、クラウスにぼやきつつもそう言っていたし、彼自身も彼女の演奏がとても気に入っていた。
「はぁ。姉さんは変わらないなぁ。きっと城の中でも引く手あまただろうに」
「逆よ。みんな、私のことを怖がっちゃって。女性に対して失礼よね」
ヴォルケンリッターの面々は、そんなわけはないだろうと苦笑する。
良家の令嬢然とした、整った品のある容姿。鈴が鳴るような、可愛らしい声。条件反射のごとく染み付いているマナー。
黙っていれば、否、口を開いても、彼女は人目を引く女性だった。彼女の職業柄、畏怖はされるかもしれないが、少なくとも忌避されているわけではないだろうとクラウスは信じている。
「クラウスの方こそどうなの?私、それが心配でお嫁にも行けないわ」
それこそ順番が逆だろうとクラウスは思ったが、にじり寄って耳元でささやく台詞に、彼は硬直した。
「――誰が、好み?」
恐らくわざとであろう、内緒話にしては小さいとは言えない声は、守護騎士たちにも聞こえたに違いない。
シグナムは頬を朱に染めて目をそらし、シャマルは「まあ」と感嘆詞をもらし、ヴィータは頭にクエスチョンマークを浮かべて瞬きし、ザフィーラは同情の表情を主に向ける。内心の動揺を悟られないよう、彼は大げさにため息をして姉をにらんだ。
「意地が悪いよ、姉さん」
「そうね。ごめんなさい――それにしても貴方、ひょっとして具合が悪いの?なんだか、顔色が良くないわ」
「え、ああ。ちょっとね」
クラウスは、自分が午後に倒れてから夕刻まで眠っていたことを話す。アルマは、その話を聞いていつになく真剣な表情でたずねた。
「それ、今日のいつ――いえ、今はもう大丈夫なのね?」
「うん、この通り」
微笑んでみせるクラウスの頬を、姉は優しくなでた。
ノックの後、扉が開く音。
ベルンハルトが顔を覗かせ、全員に向かって頷いた。
「ああ、気にしないでくれ。弟の様子を見に来ただけだ。元気そうなら特に問題はない」
「お兄様、折角いらしたんですもの。一緒にお話しましょう?」
「済まない、少し用事が残っている。ああ、アルマにも用があるから、後で顔を出してくれ」
一礼をして出て行く兄を見て、姉は思い出したように腰をあげた。
「そうそう、私も兄に用事があるのを忘れていたわ――ごめんなさい、突然だけど、これで失礼するわね。皆さんに会えて、とても楽しかったわ」
彼女はその場にいる全員に丁寧に挨拶をして、ベルンハルトを追いかける。
扉の閉まる音がした後、最初に口を開いたのはシャマルだった。
「素敵なお姉様ですね」
「うん、自慢の姉だよ。子供扱いされるのがちょっと気になるけど、ね」
クラウスが肩をすくめると、彼女は困ったように苦笑する。その隣で、腕を組んだまま扉を見つめている人物が一人。
「――どうしたの、シグナム?」
主の問いかけに、守護騎士の将は目を瞬かせてクラウスを見た。
「あ、何でしょう、主クラウス」
「扉をじっと見つめてたから、何かあったのかなと思って」
「――いえ。考え事をしていただけです。お心遣い、ありがとうございます」
彼女はそう答えた後、雑談に参加するが、やはり心がここにあらずといった感じで、時折視線を宙に向けている。
クラウスに半ばくっついているヴィータも、ほとんど口を開かないままで、顔はうつむきがちだった。
*
クラウスは、自室の窓から空を見上げていた。いつもは白く見えるはずの月が、時折、朱く大きく見える時がある。丁度その日がそんな夜で、彼はその月光に訳もなく胸をかき乱される。そしてそれでも、目を放せずに虚空を見つめ続けていた。
ノックの音。普段なら、誰も訪ねてくるはずのない時間の来訪者に、彼は返事をする。ゆっくりと扉が開いて、ふわりと白い影が揺れた。
広い窓から差し込む光に、そのはちみつ色の髪が照らされる。
「――どうしたの、姉さん」
弟が問うと、姉は躊躇するかのように一度視線を床にそらし、それから彼を見つめた。
鈴のような――しかし明らかに普段よりも沈んだ声が、静かな部屋の中に響く。
「クラウス、貴方に聞きたいことがあるの」
そこから言葉を続けようとして、また口を閉じる。快活な彼女らしくもないその様子に、ただ事ではない空気を感じ取って、クラウスは深呼吸して続きを待った。
「貴方――人を、傷つけるようなこと、してない?」
その質問に、心臓が跳ね上がる。極力平静を装うが、声が震えないか不安に思いながら口を開いた。
「一体どういうこと?姉さん」
「答えて。重要なことなの」
アルマは、強い口調で吐き出すように言った。
翡翠の瞳が彼を映す。泣きそうな目。
返事をためらったわずかの間に、アルマは何かしらを悟ったらしい。ため息を一つついてから、彼女はにらむような視線で弟を見つめる。
「私は、貴方のことをすごく大切に考えてるつもり。だから、貴方がしたいと思ってることは出来るだけ応援してあげたい」
彼女は唇をかんでうつむいた。細い指が、首からかけられたチェーンを掴む。小指にはめられた銀のリングと、ドレスの中から取り出された十字型の飾りが、鈍く金属の輝きを放った。
「でもね、クラウス。もし貴方が、私が想像している通りのことをしているとしたら――私はそれを止めなければいけない」
クラウスは、目を閉じて深呼吸をする。彼女の言っていることに心当たりがある以上、ごまかすつもりはない。
覚悟していたはずだ。アルマやベルンハルトには、きっと反対されるであろうと。
それでも彼は、闇の書を完成させると決めた。だから――引くわけには、いかない。
「ごめん、姉さん。もし、僕のやっていることで姉さんの手をわずらわせたとしても、やめるわけにはいかないんだ」
「どうして?貴方は、誰かを泣かせるなんてことが出来る子じゃないはずよ。そこまでして、やりたいことなの?」
「――うん。僕には必要なこと。それに、もうすぐ目的地にたどり着く。そうすれば、それ以上誰かを傷つけなくてもすむ」
クラウスの台詞に、アルマは激しく首を振る。滑らかな髪が、乱れるほどに広がった。
「違う――違うの。その力は求めるものじゃないわ。自分に扱えない力は、みんなを不幸にする」
「どうして、それが分かるの?」
「分かるわ。貴方たちを見れば。異形の力――それは古代の遺産。私たちの手には余るものよ」
「全部――覚悟の上だよ。上手くいかなかったときも含めて」
弟の、短い言葉に込めた意図に、姉は目を潤ませて、声を震わせる。
「お願いよ、クラウス――」
懇願する彼女を、まっすぐに見つめ返す。自分の紅の瞳は、姉にはどう映っているのだろうか。
やがて、アルマはうなだれるように下を向いて、そのまま部屋を出て行く。
こんな時でも、去り際の彼女の礼は、優美で綺麗だった。
扉の閉まる音に、ため息が出る。
全く、自分は酷い人間だ。
こんなに、大切な人を心配させて、悲しませて――
彼は、改めて月を見上げようと顔をあげる。
朱、赤、紅。
そうだ。自分にはしなければいけないことがある。
絶対に。絶対ニ。ゼッタイニ。
ドンナコトヲシテモ――
急激な眩暈。
膝をついて頭を振るが、まるで血がどこかに蒸発してしまうかのように、どんどんと意識が遠のいていく。
床に伏せる瞬間、視界が今宵の月に直接照らされたように赤く染まっていた。
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直しました。