とある朝の、八神家の朝食でのこと。
その変化に一番に気付いたのは、他の誰でもない彼女の主だった。
「――ん?」
目の前で聞こえた可愛らしい声に、剣の騎士ことヴォルケンリッター・シグナムは顔をあげる。栗色の髪の少女が整った眉をひそめて、シグナムの顔をじっと見つめていた。
「どうしましたか、主はやて」
「いや、そのな。うーん……シグナム、ちょお立ってもらえる?」
シグナムの問いかけに彼女は首を傾げながら答え、近づいてくる。シグナムも何事かと思いながら立ちあがり、自身の主を見下ろす。
やっぱり、と主は言った。
同時に、シグナムも気付いた。
視線の高さが、普段と違う。
はやてとの顔の距離は、首を下に向ける程度には差があったはずだ。それが、今は視線を傾ける必要もないくらいにまで狭まっている。
これは一体どういうことか。
目の錯覚、というのは考えづらい。はたまた記憶違い、ということもないだろう。
だからと言って、はやてが急に背が高くなったり、自分が縮んだりということも、ありえない――
と、そこまで思考をめぐらせて、シグナムの肌が粟立つ。
いや、起きた時から違和感はあったのだ。あるいは、ただ認識するのが怖かったのかもしれない。
彼女は自分の腕を持ち上げる。
自分の記憶が確かであれば、手首までが普段着からのぞくはずだ。しかし実際には、自分の手の半分ほどが袖に隠れていた。
「シグナム、貴女……何だか、縮んでない?」
あまり認めたくない事実をシャマルが指摘する。
「いや、小さくなっとるのはそうなんやけど――むしろ、これは、幼くなっとる?」
「ああ。何て言うか、ちょっと若返った感じだな」
はやての感想に、ヴィータが賛同し、さらにはリインとザフィーラが頷いた。
「スバルやティアナくらいの年、は言いすぎかもしれへんけど――近づいとるな」
はやては、あごに指を添えて、シグナムの容姿を確かめながら頷く。対する剣の騎士の方は、顔をしかめて腕を組んだ。
もうすぐ成人となるはやての身長は、シグナムと出会ったころから随分と成長した。しかしそれでも、同世代の女性平均からすると若干小柄な部類に入る。その彼女と大差ないということは、かなり体形が変化しているということだ。
それは実にゆゆしき問題だ。
体格が変わるということはそれなりに戦法に影響する。遠距離戦ならまだしも、数センチの距離を見切る必要のある近接戦闘で、間合いが普段とずれるのは致命的である。
多少腕が短くなろうが力が落ちようが、大抵の危機からは主を守れる自負はある。しかし、自己管理も守護騎士としての、そして管理局員としての大切な役割だ。「大抵」以上のことが起こらないなどと、誰も保障は出来ないのだから。
と、考え事をしている彼女の身体に、例えようのない感覚が走った。
「っ!?」
「むむっ。さすがシグナムやな。わずかに控えめになっとるような気もするけど――それでも実にナイスな感じや」
「何を確かめているのですか主っ!?こらシャマル!お前も何をしている!」
主をたしなめてから後ろを振り返ると、金髪の女性は真剣な顔でメジャーをシグナムの体に巻きつけていた。目盛りを確認して、シャマルは叫び声をあげる。
「大変、はやてちゃん!シグナムったら、サイズは小さくなってるのにカップが変わっていないわ!」
「そんなことはどうでもいいだろう!」
シグナムは胸をおさえながら、見た目が年上の女性を一喝する。異常事態にも動じないのは頼もしいが、順応性が高すぎるのも考えものである。肩を小さくして人差し指をつつき合わせるシャマルに、少々の頭痛を覚えた。
*
「ふぅ……」
シグナムは、小さく息を吐きながら、サングラスを外し、まとめていた髪をほどいた。いつもより気を張っていたせいか、身体も重いし、気分も優れない。
結局、彼女はいつも通りに出勤をした。若返る原因が不明なのが不気味ではあるが、分からないことを思い悩んでも仕方がない。動ける以上は休むわけにもいかないだろう。
容姿については、サングラスと底の厚いブーツで誤魔化した。
守護騎士であるシグナムたちの素性――つまり、自分たちがロストロギア、夜天の書のプログラムであるということは、局員たちにすら知られていないトップシークレットである。
変身魔法をシャマルに施してもらったほうが確実だったろうか。しかしそれはそれで、万が一魔力を感知されたときに面倒である。今のところ不審な表情を見せた局員はいないものの、いざというときのために上手い言い訳を考えておかなければなるまい。例えば、調査していたロストロギアの影響だとか、変身魔法の訓練だとか――
「っと」
考えを巡らせている間に、彼女は何もないところでつまずいた。
靴が、緩くなっている。
「まさか――まだ、縮み続けているというのか?」
自分の独り言に、冷汗が出た。
今、自分はどのくらいの年齢に見えるだろう。幸いにも今日の業務はすべて終わった。言い逃れのきかない容姿になる前に、人目のつかないところに行かなければ。
立ち上がろうとするシグナムに、たくましい手が出される。
「怪我はないか?」
顔をあげた先には、彼女の後輩が手を差し伸べていた。
「ああ、ヴァイスか。どうした、私に対する態度にしては、随分紳士的じゃないか」
彼の手は、こんなに大きかっただろうか。
その違和感を無理に追い出し、相手がよく知る人物であることに安心して軽口を言う。すると、シグナムを引き起こした青年は目を瞬かせ、眉間に指をあてた。
「――失礼、今思い出すよ」
(おかしいな。どこかで会ったなら、覚えていそうなもんだが――)
かすかに聞こえた彼の呟きに、シグナムは息をのんだ。
「申し訳ありません、人違いだったようです。失礼しました」
一礼をして、顔をあげぬままに走り出す。ヴァイスの制止の声が背中に届くが、彼女は振り返らない。
職場の人間から――それも、友人とも呼べる相手から認識できないほどに、自分の外見は変わっている。
その事実が恐ろしくて、シグナムは周りに誰もいなくなるまで走り続け、建物の陰で息を整えた。
窓に映った自分をまじまじと見る。朝よりも5cm以上縮んでいるだろうか。心なしか丸みを帯びた顔つきは、丈のあっていない隊服を着ているせいで余計に幼く見える。髪を結んでいない今は、別人と思われても無理はない。
ともかく、課内を動き回って不審人物と思われるのは危険だ。
シグナムは、六課の寮内にあてがわれた自室に駆け込む。
ぶかぶかになった服もそのままにベッドに横たわり、子供のようにうずくまった。
鼓動が早い。乱れた息が整わない。
何とはなしに自分の手に目を向けると、ひどく小さくなったように見えた。
進行が、想像以上に早い。
(シャマル、聞こえるか)
診察してもらおうとシャマルに念話を飛ばすが、彼女の返事はなかった。
忙しいのだろうか、とも考えたが、もしそうであれば「後で」くらいの返信をするのが彼女の常だ。嫌な予感のままに、彼女は再び思念通話を試みる。
(主はやて?――ヴィータ、ザフィーラ、リイン!)
誰からも、返しの言葉はない。
「――レヴァンティン、聞こえるか。私の声は、お前に届いているか」
胸の愛剣に言葉をかけるが、予想通りに、そして予期したくなかった通りに、応えはない。午前中は一心同体で模擬戦をしていたのに、今では語り合うことも出来なかった。
不自然なほど広い部屋の中で、彼女は自分の肩を抱える。
もし、このまま幼児化が収まらなかったら?
ヴィータよりも幼くなって、あるいは、赤ん坊にまで戻って。ついには、消滅してしまうのだろうか。
嫌だ、と思った。
何もせずに、意味もなく果てるなど、耐えられない。
「主、はやて――」
口をついた自分の言葉は、滑稽に聞こえるくらいにあどけない声で。
自らの手は、今やもう、誰も守れそうにないほどに縮こまっていた。
目の前が暗くなる。
意識が、遠のく。
これが、幼い頃の知覚なのだろうか。初めから成長した姿だった自分には知る由もないが、頭から言葉が消えていく感覚が、自分が消えていくようで怖かった。
「……私は、負けない」
睡眠を欲しがる身体の欲求に、彼女は意地で逆らう。
自分は、剣の騎士。烈火の将シグナムだ。
守るものがある限り、死ぬわけにはいかない。
五感が失われていく中で、彼女は呟き続ける。
自分の意思も曖昧になった頃。唐突に、口に何かが押し込まれた。
シグナムは訳も分からずに飲み込む。
全身が熱くなる。
いきなり熱湯に入れられたような強烈な刺激に、彼女は思わず悲鳴をあげた。
「シグナム、大丈夫!もう大丈夫やよ!」
暴れようとするシグナムの手を、暖かい感触が包む。
荒い息と共に目を開けた彼女の前には、主の優しい顔があった。
「ん、すっかり元通りや」
その微笑みに、シグナムは息を切らせながらも笑い返す。日常に戻ってきたのだと遅ればせながら自覚した。
はやては、事の経緯を簡潔に説明してくれた。
推測される原因は、守護騎士システムの弱体化や、魔力の酷使、ロストロギア調査によって魔力を日常的に浴びていることなど。つきつめれば、体力が低下しているにもかかわらず身体に負荷をかけ続けたのが良くなかったらしい。
「それで、身体の方が魔力の消費を抑えようとして、外見的には幼くなった、ちゅうことみたいやな。薬を作ったシャマルの見立てやし、間違いはなさそうや」
つまり、先程の強烈な眠気は、身の危険ではなくて単純に休息を欲していただけのようだ。自分の思い違いにシグナムは赤面し、しかし同時に安堵した。
「良かった。私はまだ、貴女のおそばにいられるのですね」
「当たり前や。誰も――誰も、いなくなったりなんかさせへんよ」
はやては、シグナムの頭を抱える。
柔らかいものに包みこまれる感触に戸惑っていると、穏やかな、しかし力強い声が伝わってきた。
「シグナムが私を護ってくれるように、私もシグナムを護りたい」
外見がほぼ同い年の少女に、あやされるように抱かれるのは、シグナムにとっては恥ずかしくて。
しかし――それ以上に嬉しくて。何より、心が安らいだ。
彼女は、幼い娘が母親にするかのようにはやての背に手を回す。
自分の主を、いとおしく感じる。
今、この場に居られることを尊いと言える。
きっと、このことを幸せと呼ぶのだろう、と何とはなしに思った。
はやては、シグナムの髪をひとなでした後、ゆっくりと身を起こす。
「さ、そろそろ戻ろか。ザフィーラも行こうな」
「――なっ!?」
先程とは別の意味合いで目が覚める。慌てて周囲を見渡すと、蒼の獣が所在なさげに伏せっていた。
「き、貴様!?いつからそこに!」
「主殿と共に入室したのだが」
ザフィーラは、必要なだけの言葉を淡々と口にする。しかしシグナムは、彼の短い台詞を半分も聞いていなかった。
瞬時に愛剣を起動。炎を揺らめかせながら、彼の目の前に降り立つ。
「何も見なかったし、聞かなかった。そうだな、ザフィーラ?」
「……承知した」
恫喝に首肯したザフィーラを確認した後、シグナムも頷いて剣を納めた。
危うく問答無用に口封じされるところだった、という彼の呆れたような非難の視線を無言で受け流す。いくら彼が実直で口が堅いとはいえ、こういった類の話はどこから洩れるか分からないのだ。可能な限りの手をうっておくのは当然のことだろう。
彼女が不快な感じの汗をぬぐっている横で、主の方はあっけらかんと守護騎士の思いをひっくり返すようなことを口にする。
「私は別にええよ。シグナムといちゃいちゃしてるところ、誰かに知られても」
「お願いです、気にしてください……」
シグナムの脱力した口調に、はやては楽しそうに笑いを返した。
「そうや、忘れとった。おっぱいの方も元に戻ったか、きちんと確かめとかな」
「後生ですから勘弁して下さい、主はやて!」
「ほほう、嫌がるなんて、シグナムも芸風が増えて嬉しいよっ」
(ザフィーラ!関係ない態度を取っていないで、主はやてを止めてくれ!)
(私は何も見ないし、聞かないことにする)
(――くっ!)
シグナムは、ザフィーラと思念通話を交わしながら、少女の手から逃げ回る。
賑やかな声が寮内に響き、今日も機動六課の一日は概ね平和に過ぎていった。
たまにはこういうときもなければのぅ。
やはりわかっていらっしゃる(笑