そこに一歩踏み入れた瞬間、私はしかめそうになる顔を、務めて無表情に保った。
アルコールと香水、煙草のにおいが混じり合って鼻をつく。上品そうな音楽に笑い声や内緒話の音波が重なって、耳がきしむ気がする。金額が大きそうな調度品や酒並んでいるその場所は、華やかながらどこか怪しげな雰囲気を醸し出している。自分とはあまり縁のない空気で、落ち着かない。
薄暗い空間をそれとなく見渡しながら、私、盾の守護獣ことヴォルケンリッター・ザフィーラはひそかに深呼吸をした。
(こちら、ザフィーラです。主殿、潜入に成功しました)
(了解や。目標が来るまで、そのまま二人で待機。よろしくな)
主はやてとのやり取りの後、隣の人物に視線を移す。目があった若い女性は、唇を斜めにして、私に頷く。バーテンダーに飲み物を注文し、口をつけるふりをしながら、私たちは注意深く周りの様子をうかがった。
銃火器の取引が、今夜、この場所で行われる。事実を確認し、場合によっては逮捕すべし。
その情報が調査部門から回ってきたのが、3日前のこと。
質量兵器の所有は、ここ、ミッドチルダでも違法である。故に、時空管理局はそれらを厳しく取り締まる必要がある。
こういった事件は、魔力を用いた事件に比べれば数は少ないが、それでも絶滅危惧種のように珍しいわけでもない。特別捜査官である主殿こと八神はやてに一般的な事件の捜査が伝えられるのは、割と珍しいケースだ。恐らく、専門の捜査官が出払ってしまっているものと推測される。
とはいえ、主殿も他のロストロギア関係の調査で手が離せない。そこで、私が主の代理として潜入任務をしているという次第だ。
周囲に極力自然に溶け込むため、男女の組み合わせで来ているのだが――
横の相方を横目で見ると、彼女は私を見返してにんまりと笑う。首の傾きと共に薄紅色の長髪が揺れた。
女性の名はアルフ。フェイト・T・ハラオウン執務官の使い魔であり、今はハラオウン家の日常のサポートが彼女の主な仕事である。直近で動ける戦闘可能な女性がいなかったための人選だが、快く引き受けてもらえたのは私としてもありがたい。
アルフの服装はドレスにストール、それにハイヒールと、普段とは随分と趣の違う格好である。変身魔法で獣型の耳と尻尾を隠した彼女は、驚くほどに、一人の女として夜の酒場になじんでいた。
「あんたの考えていること、当てよっか?『主殿の方は、今頃大丈夫だろうか』」
彼女は、台詞の後半をさも重々しい口調で呟く。どうも私の物真似のつもりらしい。
図星ではあったが、私は肩をすくめて返事をした。
「主殿は、今は危険な場所にはいないはずだ。リインもついているし、滅多なことは起こるまい」
「そうかい。ん、なら安心だ。どうも、あんたは心配症の気があるからね。気を散らして万が一へまでもしたら、困るのはあの子だしさ」
彼女は一人頷いて、グラスを傾ける。中身はミルクである。アルコールではなく、彼女と同じものを頼めば良かったかと若干の後悔をしながら、私は口を開いた。
「お前の方は、よく決断したな」
アルフは、目を軽く瞬かせる。私の言葉の意味をつかみかねたのだろう。一度瞳をくるりと回す。
「んー、フェイトとのことかい?まあ、あんたたちにしてみれば、あたしみたいにマスターと完全に別行動ってのは、抵抗あるかもね」
私が首肯するのを確認すると、彼女は目を細めて続きを口にした。
「あたしは、家庭を守るのも立派な役目だと思ってる。ほら、フェイトはフェイトで心配症だからさ。ハラオウン家に居座って、マスターの心労を減らすのもサポートのうちってこと」
言葉を紡ぐアルフの顔が優しくて、私は感心とも羨望ともつかぬ、えもいわれぬ心地と共に目をそらす。グラスの端を口につけながら、彼女の想いをくみ取ろうとした。
私たちは、危険な任務が常である職業についている。アルフとて、フェイトのことを全く心配していないわけではないだろう。信頼することと心配しないことは別物だと私は思う。
それでも、彼女は、あえてフェイトを待つ立場に身を置いた。マスターの「日常」を護るために。主が心置きなく前を向けるように。
アルフの存在は、きっとフェイトの支えになっている。そう思うと、彼女に尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
(――あいつらじゃない?今入ってきた3人組)
唐突に伝わってくる彼女の思念通話に、私は表情を変えぬまま、周囲に視線を走らせる。
そいつらはすぐに見つかった。
恰幅の良い男、派手なドレスの女。そしてやせぎすの男。スタッフに先導されて、店の奥へと歩を進めている。
外見で判断するのは良くないことだ、というのが一般論だと思われるが、彼らには、修羅場をくぐり抜けてきたのだという、善良な一般人にはない凄みと自信が感じられる。それに――彼らには、どこか血のにおいがつきまとっている。元が狼である我々に、それを見逃せというのは無理な相談だった。
私は目をそらし、グラスを傾けながら、最後の一人が持っている、旅行で使われるようなスーツケースに意識を集中させる。かすかな、しかし確かな魔力反応が感じられた。
(あのケース、よく入り口でひっかからなかったねぇ)
アルフが半ば呆れたように念話で感想を言う。この店に入るときのボディチェックを指しているのだろう。私は片眉をあげて答えた。
(監視員が見逃した、というのもありえん話ではないな)
(あたしたちの変身魔法をスルーしたくらいだしね)
彼女は、耳をひくつかせて笑う。それから、鋭い目つきでグラスを置いた。
(それとも、店ぐるみってやつかい?だとすると面倒だね)
(その時は、店ごと確保するまでだ――主殿、目標を発見しました。追跡します)
(了解や。いらん世話とは思うけど、気をつけてな)
私たちは、3人組が消えた店の奥に足を向ける。
更に薄暗く、しかし豪華な通路。恐らくはVIP用なのだろう。奥に扉があり、そこにガードマンらしき人物が立っているのが見える。
一度立ち止まって、そこで聞き耳を立てた。
『――も、ありが――ご――ます』
複数人の男女の声。
ゆったりとした、しかしどこか不穏な会話が、耳に届く。
その響きは、直接的な表現を避けながらも、少しずつ核心に迫っていく。
「失礼、何かご用でしょうか」
集中していた会話とは違う、自分たちに向けられた声に、私は反射的に顔をあげた。
扉の前に立っていた男が、こちらに歩いてきている。
「こちらはVIP専用になります。恐れ入りますが、どうぞお引き取りを」
口調だけは慇懃に、彼は私たちを鋭く見ていった。
私は内心舌打ちをしながら、頭をひねる。
聞こえてきた会話だけでは、まだ、確証には至らない。もう少し時間が欲しいところだ。
ここで怪しまれるのも、彼を倒すのも得策ではない。
「ああ――すまない」
大人しく引き返すふりをしようとした時に、その男が眉を寄せる。
気付かれただろうか。
私たちが、ただの人間でない、ということが。
「失礼ですが――少々ご足労願えますか」
面倒なことになりそうだ、と私は思った。シャマルの変身魔法は、調べられてもすぐにバレはしないだろうし、バレたところであれこれと詮索されるだけだ(無論それに答えるだけの準備はしてある)が、その間に取引が終わってしまっては元も子もない。
どうする――
判断に迷う私の腕に、しなやかな手が絡む。
「悪いねぇ。人気のないところを探していたら、つい、ね」
アルフが、濡れたような声を発して、ガードマンを上目づかいに見る。
普段のあっけらかんとした口調とは違う、女を感じさせる声だった。
(ザフィーラ、顔をこっちに向けて)
言われるままに顔を向けると、彼女は私に向かって自らの唇を寄せる。
首筋に触れる暖かな吐息と、軽く吸われるような感触に、思わず身体が硬直した。
(あたしの真似をして)
私は、ぎくしゃくとしながらも、彼女の首に顔を近づける。加減も分からずにアルフのしたことを返すと、彼女はくすぐったそうな声をあげた。
「ふふ。行こうか。ここじゃあ、ゆっくり『できない』ってさ」
彼女の掌が私の胸をなで、そのまま首の後ろに回る。
私は、せいぜい恋人らしく、アルフの腰に手を触れてみせた。
「――良い夜を」
男の方は、にっこりと笑って一礼する。いまだに不審の目を向けてはいたが、とりあえず不問にすることにしたようだ。
私たちがひとまずその場を離れようとしたその時。
『――いつもの品です』
耳に、言葉と共にケースの開く音が届いた。
注意深く、鼻をひくつかせる。
油と火薬のにおいが、かすかにする。
(アルフ――)
(正面突破でいいかい?)
私は、彼女への返事の代わりに、静かに魔法を発動させた。
「っ!」
床から突き出た魔力の鎖が、ガードマンを貫く。
男が声を立てるよりも早く、アルフの手が彼の口を覆った。
「ちょいと、静かにしていてもらえるかい、お兄さん?ちょいと、中を確かめたいだけだからさ」
アルフの台詞にかぶせるように、私が管理局員である証を見せると、男は青ざめたまま、うなだれるように頷いた。
(物音とにおいからして、中は合計7人ってとこさね。どうする?)
(全員眠らせたいところだが、手順は踏まねばな)
私たちは会話をしながら束縛した男を床に置いて、扉を開ける。
「動くな!時空管理局だ!」
声をあげながら、一斉に振り向いた人々をにらみつける。
相手からの返事は、ほぼ同時に向けられた、4丁の拳銃だった。
よく訓練されている、と言いたいところだが、しかしそれでも遅い。
抵抗の意思があるとみなし、私は銃を向けた者を、束縛し、次の瞬間にはアルフが彼らを昏倒させる。
更に、相手が次のアクションを起こす前に、他の者の動きも封じた。
「お、お前ら――」
ひきつった声をあげる男を横目に、机の上に置かれているケースに顔を向ける。
アルフが、中からいくつかをつまみ上げて私に見せた。
「拳銃と、弾薬。現行犯ってやつだね」
「お前たちを、質量兵器所有の罪で――」
「待ちやがれ!」
物音とどすのきいた声が、同時に背後から響く。
振り返ると、アルフが倒したはずのやせぎすの男が、彼女のこめかみに銃口を突き付けていた。
(ごめん。どうも加減を間違えたみたい)
アルフが眉を寄せながら、私に念話を送る。その間も、男は声をあげる。
「両手を後ろに組んで、伏せろ」
私は、彼の要求に肩をすくめて見せる。
男はすぐに、怒声で私に反応した。
「さっさとしろ!女の頭ぶち抜くぞ!」
彼の言葉は、普通であれば有効な内容だった。
事実、もしこの場にいるのがアルフではなく、他の誰か――例えば、ボディチェックによって防御の手段を奪われた主殿だったら、私に選択の余地はほとんどなかっただろう。
私は、半ば相手に同情しながら口を開いた。
「……だそうだが」
「もうちょっと気の利いた台詞がいいねぇ」
私ののんきな台詞に、とぼけた感想を口にするアルフ。あるいは、それは後ろの銃を突きつけた男でなく、私に向けた言葉だったのかもしれない。
「ふざけ――」
こめかみに、さらに銃口を押し付けようとして。
唐突に無くなった手ごたえに、男は体勢を崩した。
彼の注意がそがれた時間は、1秒にも満たなかったかもしれない。
しかし、それだけあれば十分だった。
私は、そのあごに拳をめり込ませる。
男は無言で宙を舞い、毛の長い絨毯に顔をうずめた。
「――今更だけど、管理局員が暴力振るっていいのかい?」
「正当防衛ということで、納得してもらおう」
アルフの声に肩をすくめながら、私は視線を床に落とす。
「怪我はないか」
「ん、その台詞なら気が利いてるよ」
子犬の姿になったアルフが、尻尾を振って目を細めた。
*
この後、関係者はほどなく逮捕され、私たちはつつがなく任務を終えた。
それ以上に語るべきことは、特にはない。これもまた私の日常の一部である。
――と、本来であれば、粛々と話の幕を下ろすべきところなのだが。
この話には、実にどうでもいい、蛇足ともいうべき続きがある。
とある平日のこと。
管理局内を移動中、フェイトが妙に真剣な顔をして私を呼び止めた。
「ね、ザフィーラ。ちょっと、聞きたいことがあるんだ」
その声に応じてフェイトに向き合うと、彼女は気圧されるようにあごをひく。
彼女の動作を不審に思いながらも、私は要件を切り出されるのを黙って待つ。
迷うように瞳を揺らがせていたが、一つ深呼吸をした後、口を開いた。
「ザフィーラは、アルフと付き合ってるの?」
その台詞が、頭に浸透するまでに要した時間、5秒。
恐竜の神経よりもはるかに遅い速度でその情報が脳に伝わった瞬間、私は脱力し、敷物のように床に伏せっていた。
私は気合いを振りしぼり、フェイトに質問を返す。
「一体、どんな経緯でそういう話が出てきたのだろうか」
「えと――この前ね、アルフの首に――キ――」
そこで、彼女は言いにくそうに口ごもる。一応聞き取れはしたが、何のことだろう。
思い当たる出来事を記憶から引っ張り出そうとして。
赤らんだ、彼女のうなじが脳裏をよぎった。
「……それは、アルフが私にされた、とでも言ったのだろうか」
私の確認に、フェイトは頬を染めながら首を縦に振る。
私は、思わず唸り声をあげる。眉が自然と寄り、八の字をかたどった。
確かに、アルフがフェイトに伝えたことは嘘ではない。嘘ではないのだが――
もう少し、洒落で済むような説明をして欲しかった。
「仕事上、必要でやったことだ。お前が思っているようなことはない」
頭痛をこらえながら私がそう答えると、彼女はあごに指を添えて、小さくうつむく。
「ええと――まず、アレはアルフが言った通りだったんだね。うん、それはいいんだ」
彼女は、独り言のように台詞を呟いて、自らを納得させるように首肯する。
パチリ。
何故だか、空気が弾けるような音が、私の近くで聞こえた。
「だけど――私、まだ誤解してるのかな。何だか、ザフィーラが『仕方がなくそういうことをした』って聞こえたんだけど」
穏やかな口調に、控えめな台詞。
だが、私には分かる。分かってしまう。
彼女は怒っている。それも、半端でなく。
「む、いや、だから、アルフは大切な仲間であってだな。決して――」
バチリ。
私の言葉に、空気が割れるように揺らいだ。
・
・
・
フェイトと私の会話は、およそ20分もの間続いた。その間に何があったのかは推して知るべし、である。
一体、何がいけなかったのだろうか。
何度思い返してみても分からず、代わりに皮膚がひりひりと痛む。
私はその日一日、カールした毛をなめながら、物思いにふけっていた。
夜、八神家の面々に相談
->はやて除く女性陣に説教という名の折檻が・・・
という光景が浮かんでくるのは何故だろう?