自分は一体何をしているのだろう。
ユーノ・スクライアは、壁を見つめながら自問した。
日が暮れてから数刻。普段なら、自室のベッドで本でも読んでいる時間帯である。
それが、今日はどうだろう。
背後から聞こえる衣擦れの音。
周囲に漂う、そこはかとなく甘い香り。
一年前ほどなら割と日常のことだったこの状況は、今の自分には刺激が強い。
「ユーノくん、着替え終わったよ」
「あ、うん」
自分への呼びかけに振り替えると、栗色の少女がにっこりと笑いかけてくる。
高町なのは。
時空管理局の期待の新人であり、ユーノにとっては、友人でも弟子でもある大切な女の子。
彼女にとっての記念日を祝いに、彼は高町家を訪れ――そしてなぜか、なし崩し的に、一夜を彼女の部屋で過ごすことになっていた。
「パジャマパーティなら、女の子たちでやった方が、楽しいんじゃないかな」
そう言って抵抗を試みた彼だったが、返ってきた言葉が「それは昨日やっちゃったの」。なるほど、とは思ったが、それがユーノを泊める理由にはならないと気付く頃には、彼は風呂場で高町美由希に洗浄されていた。
自分の扱いを鑑みるに、男子として見られていないのではないか、と時々ユーノは思う。もっとも、フェレット姿の彼を男性として見ろという方が酷なのかもしれない。
「どうしたの?なんだか、ユーノくんそわそわしてる」
「え、ううん、そんなことないよ」
寝間着姿で無邪気に小首を傾げられると、一人悶々と考えていた自分が少し情けなくなる。ユーノはそう感じながらも、なのはに向かって微笑んで見せた。
「それにしても、ほんと、楽しかったなぁ」
彼女は満足げに言いながら、ベッドに体を預ける。
家族が料理を作って、クラスメイトがプレゼントを持ち寄って、管理局ゆかりの人々が通信してきて。
誰が手配したのか、なのはの誕生会は随分と賑やかなものだった。
「でも。ユーノくん、ずっと隅っこにいるんだもん。ちょっと寂しかったよ」
彼女はそう言って、冗談ぽく頬を膨らませる。ユーノは謝りながらも苦笑した。
人気者の主役のそばを、自分が長時間陣取るのは申し訳ないと思ったため、彼はパーティの間テーブルの端に控えていたのだ。
「本当、沢山の人が来てたね」
「うん。すごく、嬉しかった」
穏やかに微笑むその表情が、いつもよりも少し大人びて見える。
ユーノは、先刻話していたなのはの兄姉の言葉を、ふと思い出した。
『ついになのはも十代か。そろそろ大人の仲間入りだねー』
『あいつはもう働いてるんだぞ。俺たちよりも大人だよ』
(大人、か)
なのはは、今日、10才の誕生日を迎えた。
それは、多分まだ大人からは距離のある年齢。
だけど、なのはの家族の言う通り――
大人であるということに、歳はあまり関係がないのかもしれない。
「ね、なのは」
ユーノの呼びかけに、少女はにこやかな表情のまま首を傾げる。
背中に届く髪が、さらりと揺れた。
「なのはは、早く大人になりたい?」
「――うん、なりたいよ」
なのはは質問の意味を考えるように、一度ユーノから視線をそらせた後、大きく頷いて答えた。
「お父さんやお母さん、リンディさんやレティさん。他にもいっぱい、あんな風になりたいって人、いるんだ。それに――」
なのはは寝転がったままで宙に手を伸ばす。
「それに、もっと広い空を、守れるようになりたいから」
ユーノは、少女の目の先を追うように、小さな手の先に顔を向ける。
とてもなのはらしい、まっすぐな言葉。
彼女の視線には、家の天井ではなく、星空――あるいは、青空が見えていたのかもしれない。理由もなく、ユーノはそう思った。
「それには、いっぱい勉強して、強くならなきゃ、だね」
なのはが、急に声をひそめて、頬をかく。
自分の夢を恥ずかしがるかのような、はにかんだ笑い。
彼女の想いは、茶化してしまうにはあまりに眩しくて。
だから、彼も素直な感想を口にした。
「なれるよ。なのはなら、きっと」
「――うん」
少女の大きな目が少年を見て、穏やかに細まる。
ユーノは、応じるように口元を緩めて。
無言の時間が、二人を包む。
ユーノの心臓が理由もなく踊り出したところで、なのはは思い出したように手を叩いた。
「そうだ!ユーノくん、プレゼント、もう開けていいでしょ?」
その言葉に、ユーノの唇がひきつる。
「や、やっぱり僕が帰ってからにして欲しいんだけど」
「えー、そうしたら誕生日が終わっちゃうよ」
少女は、口調だけは困ったように、その実からかうような表情でユーノの顔を見る。
それはそうだ、と思った。大体、そんなに恥ずかしいものなら選ばなければよかったのだ。
ユーノが観念して頷くと同時に、なのはは期待を顔に溢れさせて包装をとる。
中から出てきた小箱のデザインを見て、なのはは目を瞬かせた。
「これは、えっと――リップ、かな?」
「……うん」
答えながらも、頬が熱くなるのを感じた。
今更ながら、男性が女性に対して贈るプレゼントとしても、子供の贈り物としてもハードルが高すぎると思い始めたからだ。
それに、なのは自身もこういったものに関心は薄いような気がする。
店員の意味深な微笑みを思い出しながら、彼は身をよじらせた。
ああ、やはり予定通り、レイジングハートのチューンナップにするべきだっただろうか。
そう思いながら顔をあげると、なのはは鏡を見ながら唇にリップを塗っていた。
「な、なのは!?それって、寝る前につけるものじゃ――」
ない、のではかろうか。それとも自分が知らないだけで、問題ないのか?いやいや、薬用とは書いていなかったし――
「何だかつやつやしてる。どう、かな?」
ユーノが頭を抱えている間に、塗り終わったらしい。なのはは唇をそっとなぞった後、彼に向かって振り返った。
ほんのわずかな、しかし確かに違う雰囲気。
彼女の艶やかな唇に見入っている自分に気付いて、ユーノは慌ててうつむきながら返事をする。
「に、似合ってるよ、なのは」
お世辞ではなかった。
でなければ、今の自分の、異常に早い鼓動の説明がつかない。
動揺している彼のそばに、なのはが戻ってくる。
彼女は彼を両手で抱える。
直後、目の前いっぱいに、淡い紅色が広がった。
「っ――」
ユーノが何かを口にするよりも早く、彼女との距離が零になる。
柔らかな感触と、かすかな甘い匂いが、頭をひたすらぐるぐると渦巻いていく。
「……ありがとう、ユーノくん」
彼の額から離れた彼女のソレが、優しい言葉を紡ぐ。
ユーノは、それに対して何かしら返事をしたはずだが、よく覚えていない。
「おやすみなさい」
気がつくと、部屋は暗くなっており、なのははユーノの目の前で瞳を閉じていた。
すぐに小さな寝息をたてる彼女に、ユーノはそっとため息をつく。
心臓の音がまだうるさくて、今夜はしばらく眠れそうにない。
(明日も早いんだけどな――)
そう思う自分は、悪い意味で子供っぽくないだろうか。
暗闇に慣れてきた目で、少年は少女を見つめる。
あどけないその寝顔に、ユーノは自然と微笑んで。
彼はささやくように、祝福の言葉を口にした。
「ハッピー・バースディ、なのは」
[C121]