その日、買い出しがてら散歩をして帰ってくると、八神家には甘く香ばしい匂いが漂っていた。
安らぐような空気。しかし本能的に危険なものを感じるのはなぜだろう。
私、盾の守護獣ことヴォルケンリッター、ザフィーラは、自分でも釈然としない思いのままリビングに顔を出す。
同志たちはそこに勢ぞろいをしていた。
ヴィータが振り返って私をみとめ、挨拶代わりに何かを手に取る。
「ほいよ、ザフィーラ」
「む?」
わたしに向かって投げられたソレを口でキャッチし――
「どぅえあああああぁぁあああ!!!」
リビングの床をモップ掛けするかのような勢いで七転八倒した。
「やっぱり駄目か……」
「努力はしてみたが、ここまでだな」
ため息をつくヴィータとシグナムの後ろで、シャマルとリインが眉を八の字にしてテーブルを見つめる。
そこには黒褐色の塊がいくつも並んでいた。どうやら私は、それらの一つを食べたらしい。
極めて遅ればせながら、彼女たちが何を作っていたのかを思い出す。
――否、あるいはとうに気付いていて、無意識に考えているのを遠ざけていただけなのかもしれない。が、ともかく私は現実に直面した。
今日は2月14日。世間でいうバレンタイン・デーだ。
海鳴市では平日、そして我々はたまたま休日という状況。つまり、主殿は現在学校で、その間は贈り物の準備に注力できる。
ならば、今回は手作りのチョコレートを、主はやてにプレゼントしよう。
守護騎士の女性陣は、確か2月の頭にそんな相談をしていたのだ。
そしてその結果が、私の食した物体Xということなのだろう。
味が凄まじいこと自体はまあいいとする。良くはないが、言っても仕方のないことだ。
しかし。
「味見ならば、私でなくともいいだろう」
なんとか持ち直した私は、荒い息を肩でしながら恨み事を言ってみせる。それに対して、彼女たちは憤慨するでもごまかすでもなく、ただ遠い目をした。
「そうだな……我々の味覚が正常ならば、自分で確かめるのだが」
「そろそろ、口の感覚がおかしいんだよ……」
「にゃんだか、ちょっとひゃべりにくい気もするです……」
それらの台詞に、私は納得の頷きを返すしかなかった。
既に激闘を繰り返した後ならば、戦場にいなかった私が口を出せるものではないだろう。むしろ、それまでの経緯を想像して手を合わせたくなる。
「じゃあ、もったいないけど捨てちゃうわね」
シャマルがトレイを持ち上げる。金髪の女性の仕草を見て、リインが小首を傾げた。
「……あれ?シャマル、さっきまでクラールヴィントを指にしてませんでしたか?」
「え?ええ、さっき起動させて、そのまま――」
答えながらも、彼女は自分の手に視線を落とす。私もつられるように、彼女の目の先を追う。
ない。
彼女の白い指についていてしかるべき金色の指輪が、一つ足りない。
「あ、あら?」
シャマルは唇をひきつらせ、わたわたと辺りを探し始めた。
「落ち着けシャマル。魔力の波長は感じられるだろう?」
私の指摘に、彼女は眉をひそめて首を振る。
「それが、何だか曖昧なのよ。この部屋にあることは確かなんだけど――」
シャマルは、部屋の中を行ったり来たりし、時折聞き耳をたてるように両耳を手でくるむ。
しばらくしてテーブルの前に戻ってくると、チョコレートの群をじっと見つめた。
「ひょっとして……いえ……でも……」
部屋の中に、沈黙が落ちる。
水の中にいるのではと錯覚しそうな重たい空気の中で、ヴィータとシグナムが恐る恐る口を開いた。
「……何だか、あんまり聞きたくねえんだけど――」
「まさかとは思うが――そのチョコレートの中に?」
返答は、小さな首の動き。
全員の予想通り、そして期待とは逆の動作。
Yesを示す、縦の振りだった。
4人と1匹の視線が、1点に集まる。
トレイの上に鎮座している、物体Xの山。
これを、食べろというのか。
その数、総勢2ダースほど。大きさは直径5センチ、厚さ1センチ程度。形は星やらハートやらで可愛らしいが、いずれも一騎当千の猛者ばかりだ。
一つ目で見つかればよい。
だが、最後まで見つからなかったら?その惨劇は、想像するだに恐ろしい。
「どうする?」
同志たちの思いを代表するように、ヴィータが視線を走らせ、問いかける。
「決まっているだろう」
リーダーはそれに毅然と答え、緩やかに腕を伸ばす。
手にした星形の塊を、彼女は高らかに掲げた。
「ただひたすらに、食すのみ!」
気合のこもった宣言とともに、ソレを自らの口内に放り込む。
ゆっくりとした咀嚼。
表情には変化がなかったが、額には汗がうっすらと浮かんでいた。
「リインもいくです!」
銀髪の少女も健気に言って、チョコレートにしがみつく。
小さな口を大きくあけて、香ばしい匂い発するソレにかぶりつく。
真剣な顔で口を動かし――
「生まれて、幸せでした――」
「いきなりかリイン!?」
反射的にツッコミを入れる私の目の前で、宙を浮いていた彼女の体は、ぽてりとテーブルに横たわった。
まあ、落ち着いて考えれば、彼女の体のサイズで我々と同じ量を食べること自体が無理難題なのかもしれない。私は心の中で合掌した。
一方で、シャマルとヴィータは、一つ目を制覇し、二つ目を手に取る。
さらに、親の仇を討つかのように、猛然とソレを食べる。
食べきった時点で、彼女たちの体は震え始めていた。
それでも、彼女たちは懸命に次の目標を目指す。
しかし、懸命にテーブルの上を滑る二つの腕は、途中で同時に力尽きた。
「あたしは――まだ――たたかえ、る――」
「はやてちゃん……私、出番、増えるかしら――」
その言葉を最後に、湖の騎士と鉄槌の騎士は意識を手放した。
生き残るは、私と、そしてあと一人。
「シグナム――無理は体に毒だぞ」
黙々と食べ続ける烈火の将に、私は心配の声をかけたが、彼女は首を振り、掌を強く握りしめた。
「負けられぬ!礎となった同志のため!自らの守護騎士の誇りのため!私は、ひかぬ!」
凛とした少女は、勢いよくチョコレートをつかみ、かじる。
一口で悶絶もののソレを、彼女は注意深く賞味し、中身を確かめる。
かみしめる度に、その彫像のように整った顔は、その色を、詩的に言うならプリズムや万華鏡のように――身も蓋もなく言うならまだら模様に赤や青と変化させる。
5つ目。
前人未到の境地を、殉教者のように、迷わずに進む。
そして彼女は――
無言のままに。
前のめりに、倒れた。
「――お前は、勇者だった」
私は、尊敬の念とともに、一言つぶやく。
その後、私、盾の守護獣は、シグナムの死地と同じ5つ目を口でつまみあげた。
傍から見れば、一番余裕があるように感じられたかもしれない。それはそうだ、私だけは直前までこの魔の食物を口にしていなかったのだから。
しかし、そのアドバンテージもほぼゼロになろうとしている。私はその自覚があった。
口の中に広がる香ばしい匂い。それはいい。
だが、このどろりととろける奇妙な舌触り。甘味と辛味、酸味に塩気が複雑に絡み合って、菓子どころか食べ物の領域を超越している。
誰の仕業かはあえて問わないが、本当に、何をどうしたらこんな前衛的な味になるのだろう。この謎はロストロギアにも匹敵するのではないか。
そんなとりとめのない思考で頭を埋めながら、とにかく味覚を意識しないように、一つ一つを食べ進める。
これはハズレ――これも、だ。
7つ目――8つ目。
そして、9つ目。
――ああ、視界がかすんできた。
いや、これも意外とイケるのではないか。
あと一つくらい――簡単ニ食ベラレソウダ――
私ハ、次ノチョコニ口ヲ寄セ――
・
・
・
10個目のチョコレートで、明らかな異物が舌に触った。
溶けることのない、円環状の物体が、口の中で転がる。
「当たりだ!」
確か、私はそう叫んだのだったか。
その言葉に反応するように、同志たちがのろのろと起き上がった。
「見ミツケタデスカァ〜?」
「アリガトウ、ザフィ〜ラァ〜」
うめくような声。
うつろな視線。
糸につられているかのような、緩慢な動作。
その不気味な光景に、私は思わずつばを飲み込む。
「っんが、ぐ」
不注意だったという他ない。
既に精神的に相当摩耗していた私は――
つばと一緒にあっさりと、クラールヴィントを、飲みこんだ。
「……お前、今、飲み込まなかったか!?」
ヴィータが夢から覚めたように飛びあがって、私の口をこじあける。
「うおお、吐き出せザフィーラ!」
「いやっ、いきなり言われてもだな!?」
飲み込んでしまった以上は消化器官を通って排泄されるのを待つしかない。
と、思ったのは私だけだったようで。
「力づくでやるしかあるまい。許せザフィーラ!」
守護騎士の将がそう口にするのと同時に、腹部に強烈な衝撃。
次の瞬間、私は宙を飛んでいた。
「ごぷぁああっ!」
「――駄目です、足りません!」
「なら、次はあたしだ!」
落下する私の真下で、ヴィータがグラーフ・アイゼンを構える。
「一撃、ひっさぁつ!」
「まて、殺してどうすぐふぅっ!!」
胃の辺りに、再び凄まじい打撃。突き破らんばかりの震動が、私の体を突き抜ける。
鈍い音をたてて床に落ちた私を見て、今度はシャマルが悲壮な声をあげた。
「ヴィータちゃんの鉄槌でも駄目なんて……」
「し、しからばリインの出番です!直接ザフィーラの中に入って、取ってくるですよ!」
リインの発言に、女性陣が歓声をあげる。まるで、それが最上の策とでも言わんばかりに。
「そうか、その手があったか!」
「頼むリイン、全てはお前の手にかかっている!」
「頑張ってリインちゃん!」
湧き上がる周囲とは裏腹に、私は一人冷や汗をかく。
「さすがにそれは無茶だろう!お互い無事では済まないぞ!」
必死に発した私の主張は盛り上がった空気に阻まれ、虚しく宙を舞い、消えていく。
「行きます!ユニゾン・イーン!!」
銀髪の少女は、雄たけびと共に、自らの発言とは全く関係なく、直接私の口の中に飛び込んだ。
「んげご$#@!?¥」
私は、言葉にならない絶叫をあげ――
*
「ただいまや」
八神はやてが自宅のドアを開けると、そこにはチョコレートの芳香が漂っていた。玄関で匂いがするということは、手作りチョコに挑戦をしていたのだろうか。
今日のイベントを考えるに、もしも守護騎士たちが作業中ならば、出くわすのはあまり良くないかもしれない。
彼女はそっとリビングを覗きこむ。
そこで見る光景を、何と表現したらいいのだろう。
強いて言うなら、地獄絵図。
まるで、凄惨な戦いがここで行われたかのようだった。
守護騎士全員が倒れている。
否――
正確には、テーブルに突っ伏していた。
時々聞こえる唸り声から、皆が一応無事なのが分かり、胸をなでおろす。
それにしても、だ。
「これは――何のミステリィやろか」
思わず、そう呟いてしまうような、不可解で、壮絶な構図。
全員、チョコレートを手にしたままで、何をしていたのだろう。
あるものは蒼白な顔でうめき声をあげ、あるものは眉間に跡が残りそうなくらいの深いしわを作っている。ザフィーラなどはお腹を押さえながら何事かを呟き、震えていた。
「やめろリイン……シャマルも……旅の鏡は、勘弁してくれ……」
かすかに聞こえるその言葉からして、良い夢を見ているとはとても思えない。
原因は、間違いなく黒褐色の菓子だろう。
はやては、テーブルの上に残っているチョコレートをつまみあげる。
「――いただきます」
ハート形をしたそれをかじると、えもいわれぬ異世界の味がはやての口の中に広がった。
「これはまた、ユニークな味やな」
はやては改めて惨状を見渡す。懸命に作っている彼女たちを想像して、小さく苦笑した。
せめて、一つはきちんと完食しよう。
そう思い、残りの欠片を口に入れる。
口の中に、異物感。
溶けることのない、硬質な感触。
舌の上に乗っているそれを手に取ると、金属の輝きが円環をかたどる。
「クラールヴィント――」
シャマルの指を見ると、指輪が一つだけ足りていない。洗ってから金髪の女性の指にはめてあげると、金の指輪は感謝の意を示すように淡く光を放った。
はやては、全員の容体が落ち着くのを見届けた後、彼女たちにカーディガンや毛布をかける。
自分のチョコレートは、皆が起きてから手渡すことにしよう。
水を火にかけ、茶葉を用意し、ソファーに座って家族が目覚めるのを待つ。
「ハッピー・バレンタインや」
彼女はささやくように言って、穏やかに微笑んだ。
[C46] ほー