「んしょ、っと」
少女は、自らの金髪を後ろにまとめてリボンで縛る。結び位置を確認するために軽く首を振ってみると、鏡の中の髪が、尻尾のようにぴょこぴょこと揺れた。
いつもと違う髪形の自分は、少しだけ大人っぽく見える気がする。似た髪形のシグナムを連想するからだろうか。烈火の将の凛々しい姿に自分を重ねると少し気分が高揚するが、今はあまりそういったことを考えている余裕はない。
「フェイトちゃん、準備できたかな?」
「あ、うん、もうちょっとだよ」
親友の声が聞こえて、少女はあわてて振り返りながら答えた。
彼女はシンプルな白のエプロンと三角巾を身につける。手に汗がにじんでいるのを感じて、彼女は静かに呼吸をした。戦闘の前であるかのような緊張で、鼓動が高鳴っているのを自覚する。戦いという表現はそう間違ってはいない、とフェイトは思った。
そう、これは、自分にとっての決戦である。勝ち負けという問題ではないけれど、とにかく失敗はしたくない。
時は2月上旬。
ある冬の休日の朝のこと。
高町家のキッチンで、彼女――フェイト・T・ハラオウンは、胸の前で握りこぶしをつくって気を引き締めた。
ことの発端は、一週間ほど前の学校での会話である。
「じゃあ、一緒に作ろっか?」
なのはの発したその一言に、フェイトは条件反射のようにうなずいていた。
菓子作りにさほど造詣の深くなかったフェイトは、チョコレートに関しても同様に手作りの経験がない。そのことに対するなのはの回答が先の発言だった。
なのはは、その場にいたクラスメイトも誘ったのだが、追加で応じたのははやて一人。アリサとすずかは別行動らしい。
曰く「いくらなのはの家でも、5人で一度に作ったら大変でしょ」
もっともなその台詞に、なのはは残念そうに引き下がった。
フェイトとしても、皆で作った方が楽しかろうとは思うのだが、場所の関係であればやむを得ない。むしろ気にかけるべきは、自身が無事にチョコを完成させられるかということだろう。
彼女は、情報網を駆使して情報を集める。友人たちに聞きまわり、女性向けの雑誌を読みあさる。
まずは敵を知るのが、戦術の第一歩。
知識という一点で、彼女は入念に予習をした上で本番に臨んでいた。
話を現在に戻そう。
経過を少し省略し、戦況を述べる。
現状ではフェイト・T・ハラオウンがやや優勢。だが予断を許さない状況。
前半戦が終わって、現在はチョコレートを冷蔵庫で固めている途中である。
ここからが山場だと言っても差し支えないのだが、しかしフェイトは既に消耗しきって、テーブルにぐったりと突っ伏していた。
「お疲れさま、フェイトちゃん」
ねぎらいの言葉をかけるなのはに、彼女はしみじみと答える。
「……お菓子作りって、大変だね」
金髪の少女の感想に、なのはとはやては顔を見合わせて苦笑した。
「随分気合い入れてしもうたからな、フェイトちゃんは」
はやての言葉に、頬が熱くなる。確かに、思い返すと若干むきになりすぎていたかもしれない。
実際にやった作業は、チョコレートを削って、溶かして、型に流す。それだけだった。
実時間にして、約1時間。その間に、フェイトの指には3つの絆創膏が貼られ、テーブルにはチョコレートの欠片や、溶けた滴が固まったものが散乱している。
「フェイトちゃん、普段の料理は手際いいんだけどね」
「力がちょっと入ってもうたな。溶かすときにも、温度計に目が行き過ぎてたみたいやし」
「きれいに作るには、温度が大切って聞いたから……」
親友二人のコメントに、眉を八の字にして言い訳すると、彼女らは「フェイトらしい」とそろって笑う。
あまり嬉しくない感想を言われて、彼女は息を小さくはいて、紅茶をすすった。
口に含んだ液体が香りとともに体中に広がって、こわばった体と神経をほぐしていく。お腹から伝わる熱が心地よい。
カップを空にする頃には、気力も十分に回復していた。
「さ、後は仕上げだね。がんばろっ!」
なのはの励ましにフェイトは大きく頷いて、続きを開始した。
ココアパウダーをふりかけ、ホワイトチョコを詰めたチューブで、少しだけ飾り付けをしていく。
(お母さんの分、アルフの分、クロノの分――)
渡す相手の顔を思い浮かべながら、一つずつ。
最初は緊張で汗ばんでいた手も、慣れるにつれて、思いどおりに動くようになっていく。
自然と、頬が緩んだ。
皆がどんな顔をしてくれるのか。それを想像すると、体がふわふわと浮かぶような、暖かい気持ちになる。
「――あ」
しかし。
フェイトの手が、そこで止まる。
今、自分が思い描いている、相手。
とても、大切な人。
ふと顔をあげると、同じようにトッピングをしている少女も、やはり視線をこちらに向ける。
「フェイトちゃん、楽しそう」「本当やね」
二人の少女が、同調するようにフェイトに笑いかけてきた。
高町なのは――それに、八神はやて。
渡したいと思っている相手が、この場にいる。
フェイトは曖昧な表情を見せてから、腕を組んだ。
さすがに本人を前にプレゼントを準備するのは、少し興ざめな気がする。
しかしだからと言って、このまま持ち帰って、ハラオウン家で続きをするべきだろうか。それも何だか変に気を遣っているみたいだ。それに、妙な行動をとると、目の前の敏い友人たちに不審に思われかねない。
(――書き方に困ってるんやったら、“you”とか“friend”とかでぼやかしてもええと思うよ)
唐突に伝わる、思念通話でのアドバイス。
おっとりとした関西弁の主は、フェイトの悩みを的確についており、フェイトは思わず声をあげそうになった。彼女の多彩な魔法の中には読心術もあるのだろうかと、時々かんぐってしまう。
それはさておき。確かにいい案だとフェイトも判断した。そして実際にそのように書こうともした。
「うん――」
しかし、フェイトの手は動かず、気の抜けた返事だけが唇の端から漏れる。
はやての言うことはもっともだと思う。誰宛なのかを悟られない言葉を、堂々と書いてしまえばいい。よく分かる。
それでもフェイトは、続きを書くことができなかった。
(――フェイトちゃん、ちょお待っててな)
「え」
はやては、言うが早いか、わずかにかがんで携帯電話を取り出し、何やら操作をする。そのまま何食わぬ顔で彼女は自分の作業に戻った。
夜天の主の突然の行動に首を傾げていると、着信音がキッチンに鳴り響く。
「ふぇ、ごめん、ちょっと外すね。もしもし、アリサちゃん?うん、今お菓子作ってるとこ――え?うん、分かったよ。えっと、あれはどこだったかな――」
電話の相手に促されるように、彼女はキッチンを離れる。階段を登っていく音が聞こえて、フェイトは目をまたたかせた。
「さすがアリサちゃんやな。遠隔操作スキル、Sランクや」
「ひょっとして、はやて――」
「さ、私はちょお休憩するよ。5分位で戻ってくるから、フェイトちゃんは頑張ってな」
彼女は左目を軽くつぶって、伸びをしながらテーブルを後にした。
どうやったのかは分からないが、はやてとアリサが気をまわしてくれたらしい。
あまりの手際の良さに思わず苦笑して。
フェイトは、はやての背中にそっと手を合わせた。
深呼吸をひとつ。
フェイトは、チョコレートに向かって、チューブを近づける。
「Dear Nanoha」「Dear Hayate」
たったそれだけの、短いメッセージ。
だけど、彼女なりの想いを詰めた言葉。
それはたった一人に対して贈るものだから。
そして、名前は、フェイトにとってとても大切な意味を持つものだから。
どうしても――他の言葉ではなく、彼女たちの名前そのものを、書きたかった。
彼女は、出来上がったチョコレートをそっと箱に詰めて蓋をする。包装は自宅でゆっくりとやればいい。
続けてアリサやすずかの分も済ませ、一息ついたところで、申し合わせたようになのはとはやてが戻ってきた。フェイトが感謝の視線を向けると、はやてはにっこりと笑ってみせる。
そのまま何事もなく作業を進め、最後の一つからチューブを話した後、フェイトは大きくため息をついた。
「終わった――」
その言葉に反応したなのはが、顔をあげて「お疲れさま」とこたえ――そのままくすりと笑った。
「あは、フェイトちゃん、白ひげさんになってる」
「え、どこ?ほっぺた?」
「あ、そのまま。動かないで」
なのははフェイトの頬を指でなぞろうとして、自らの手を戻す。
彼女の手も、チョコやココアパウダーでトッピングされていた。
顔を洗ってくる、とフェイトが言おうとした矢先――
「ん――」
なのはは、唇をフェイトの頬に接触させる。
柔らかで暖かな感触。
直後に、かすかに湿ったものになでられる感覚。
硬直するフェイトに、なのはは無邪気に笑った。
「うん、とれたよ」
フェイトは、目をそむけたまま、ありがとうとだけ口にする。
声が裏返っていなかっただろうか。顔が赤くなっていないかも、正直なところ自信がない。
「……なのはちゃんて、天然でエースなんよね」
はやてが感慨深げに意味深なことを呟く。言わんとするところはいまいち理解できなかったが、あまり健全な内容ではないことは、なんとなく察した。
一方、なのはもはやての言葉に小首を傾げたが、視線をフェイト作のチョコレートに向けると、興味がすぐにそちらに移ったらしい。小さくとび跳ねながら目を輝かせる。
「フェイトちゃんの、可愛い!うん、すっごくいいよ!皆、絶対に喜ぶと思うなっ」
なのはがストレートな言葉で褒め、はやても穏やかに笑ってひとつうなずく。
「そう――かな。ありがとう、なのは、はやて」
本当に、そうであってほしいと思う。
他人の幸福で笑顔になれるこの少女たちを――願わくば、自分も喜ばせてあげたい。
「当日が、楽しみになってきた」
フェイトがそういうと、なのはが同意して微笑んだ。
彼女は、どんな顔をしてくれるのだろう。心の内で親友の反応を思い浮かべながら、フェイトはなのはの明るい表情に目を細める。
優しく香ばしい匂いが、少女たちを包むように漂っていた。
「はのはの発したその一言に」