私は、彼女を待っている。
夕暮れの街の中、スーツに身を包み、壁に背を預け、じっとその時を待ち構えている。
彼女は、予定時刻ちょうどにその場に現れた。
落ち着いた色合いのワンピースに、上品なデザインのカーディガン。私には区別がつかないが、あるいはその整った唇につけているものも、普段とは違うものなのかもしれない。
彼女は私の存在に気がつくと、軽く目を見開き、笑いながら手を振る。私は歩み寄り、彼女に向かって一礼をした。
優しげな造りの顔が、柔らかな表情をかたどって、私を見る。上機嫌な様子でくすくすと息をもらしたかと思うと、私の腕に、彼女のそれが絡んできた。
彼女らしくもない行動に声をあげそうになったが、すんでのところで踏みとどまる。
そう、私はこれからしばらくの間、守護獣ではなく、一人の男として彼女をエスコートしなければならないのだ。この程度で動揺しては、先が思いやられる。
ゆっくりと歩き出しながら、私は昨日の特訓を思い返した。
*
『なんだってええええええええ!?』
口にされた言葉に少々の違いはあったが、おおよそそんな意味の絶叫が八神家のリビングに響いて、私、盾の守護獣ことヴォルケンリッター、ザフィーラは顔をしかめた。もしも耳を自由に動かせるのであれば、ぱたりと蓋をしていたところだ。
「あ、いや、すまん。つい取り乱した。しかし――主はやてと、二人きりで食事、だと?」
「ああ」
額を抑えて頭をふる守護騎士の将に軽くうなずく。
「元々、アコース査察官が主殿と会食をする予定だったらしいのだが、どうしても外せない用事が出来たらしい」
私の台詞に、その場にいた全員が唸る。考えていることが透けて見えるようだった。
ヴェロッサ・アコース査察官が、主はやてを食事に誘うのはいい。普段からいとこのように接している間柄だ、そういうこともあるだろう。 そしてギリギリになって都合が悪くなった理由も推測がつく。仕事柄、突然の事件など珍しくないだろうし、あの御仁のように優秀な人材であれば、なおさら駆り出されるのは自然なことと言える。お互いに残念だろうが、それで破たんするような関係でもないだろう。もっとも、主殿を妹のように可愛がっている彼にとっては、断腸の思いだったに違いないが。
疑問点はただ一つ。
何故、キャンセルもされず、よりによってこの私が指名されたのか、ということだ。
「頼れる男が君しかいなかったものでね。キャンセルでないのは、僕からのせめてもの罪滅ぼしだよ」
女性ではいけない理由とか、クロノ提督やナカジマ三佐では駄目なのかとか、色々な質問が重ねて浮かんだが、無理やり飲み下した。彼なりの気配りないしこだわりがあるのかもしれないし、単純に他の方々も、スケジュールの都合がつかなかっただけなのかもしれない。
現に、目の前にいる守護騎士たちは、揃いも揃って(何とシャマルやリインまでもだ)明日から泊まりがけの出張である。入れ替わりに出張から帰ってくる主殿とは、スケジュールが合いそうにない。
悔しがるヴィータや嘆くシャマル、更に何故だかいつも通りいがみ合っているリインとアギトなど、若干のすったもんだが繰り広げられたものの、結局すぐに全員が落ち着いた。
「――だが、ザフィーラ。いいのか?」
「何がだ?」
「アコース査察官が、どのような場所を選んだのかは分からんが……例えば洋食だった場合、テーブルマナーは大丈夫か?」
ぴたり、と場の空気が固まる。私の背中から、嫌な汗が流れた。
確かに、それは重要な問題かもしれない。
獣形態でいることの多い私は、必然的に、食事時に皆と同じ卓を囲まない。箸やナイフなどを人並みに使うことは出来るが、グレードの高いレストランでスマートに食事ができるとは思えない。
「……ザフィーラ、ナイフとフォークは、どちらから持つ?」
戦い直前のような真剣な表情でシャマルが質問を放つ。私は同様の慎重さで恐る恐る答えた。
「――普通、ナイフは右手、フォークは左手だろう」
またしても、数秒間の沈黙。
私のふがいなさに怒りを覚えたのか、それとも場の雰囲気に耐えられなくなったのか。
シャマルが、大きく手を振り上げて叫んだ。
「特訓よ!はやてちゃんに恥をかかせるわけにはいかないわ。守護騎士の名に懸けて、主様の名誉を守らないと!」
彼女の一声で、ダイニングとリビングが騒動に包まれる。
「まずはテーブルをセットしましょう。シグナムはウェイターさん役をお願いね」
目をまたたかせた後、シグナムは気圧されるようにうなずく。
「でも、食事はどうするんだよ。皿だけでもだすか?」
「お夕食の後ですしね」
ヴィータの疑問に、リインが同意する。シャマルは、少し首を傾げた後、にっこりとほほ笑みながら口を開く。
「私が軽く作るから――」
「待った!あたしに任せてくれ!手早く作るのはお手のもんだから!」
「そうだな!シャマルにはザフィーラへの指導という重要な仕事があるだろう!?」
慌てて立候補したアギトに、そこはかとなく裏返った声で賛成をした。しぶしぶといった感じで納得するシャマルに、全員が胸をなでおろしたのは言うまでもない。
「じゃあ、早速始めましょうか――」
こほん、といかにも演出たっぷりの咳ばらいをした後、金髪の女性は明後日の方向を指差しつつ叫ぶ。
「その1、紳士たるもの、女性をエスコートしなくてはならないっ!」
激しく上がったシャマルのテンションについていけずに、私は呆然とする。しかし彼女は一向に構わず、私に向かって握り拳をつくって見せた。
「入店した時から、勝負は始まっているわ。僭越ながら、私が主様の代理をするから、しっかりエスコートしてね」
人型に変身させられた私は、シャマルに連れられて、ダイニングの入り口で彼女の説明を聞く。私も含め、他の皆はただただ耳を傾けるばかりだ、
「まずスタッフに席を案内される時よ。シグナム!」
「あ?……ああ。えー、では八神様、ザフィーラ様、こちらへどうぞ」
彼女の言葉に促されるように、足を向け――
「ぼふぁっ!?」
その瞬間、平手で後頭部をはたかれた。私からは見えなかったが、彼女との背丈の関係からして、見事なジャンピングスマッシュだったに違いない。
「違うわ!男性は女性の後ろを歩くの!さりげなくはやてちゃんを誘導して!」
「わ、わかった」
改めてシグナムに誘導され、シャマルと私はダイニングテーブルにつく。シグナムがテーブルの上で何かを開いて見せる仕草をした。どうやらメニューのつもりらしい。本日のお勧めはどうのこうの、肉料理や魚料理が云々。彼女に言われるままに、メニューを決める。
「お食事前に、お飲み物などいかがでしょうか」
「……ミルクはあるだふぁっ!?」
「シグナムの台詞が来たら、食前酒のことだと思ってね。自分で希望を出してもいいし、飲まなくてもいいそうよ」
ツッコミに旅の鏡をわざわざ使わないでほしい。ちらりとそんな思いが頭をかすめたが、そんなやりとりをする余裕は、今の私にはない。後頭部を抑えながら、私は頭をひねる。
「――お、お勧めのものは、あるだろうか」
「はい、こちらの――」
私の質問にも、シグナムはそれっぽい仕草と台詞でそつなく応対する。まるで本当のウェイター(否、この場合はウェイトレスか?)のようだ。仕事でエスコートされた経験があるのかもしれない。
シグナムが一礼をして席を離れると、私は脱力してテーブルに突っ伏しそうになる。
「本番ではそんなところ、はやてちゃんに見せちゃだめよ」
「……ぐぅ」
追いうちの台詞に私は思わず唸って見せたが、しかし文句を言うわけにもいかない。実際、彼女の言っていることは正論なのだ。男がだらしないようでは、パートナーも落胆するだろう。
ため息をつきながら顔をあげると、シグナムが皿を運んでくる。
野菜を何かしら調理したらしい、一口サイズの何か。
キッチンを見やると、アギトがこちらを向いて「がんばれ」とばかりに腕を振り回す。彼女は、夕食後ゆえに種類の少ない冷蔵庫の中身で、本当にきちんと食べられる物を作っているようだった。
「貴重な料理要員だな……」
「……負けた、です……」
キッチンでそうつぶやくロードと銀髪の融合騎をさておいて、私は指導教官のレクチャーを必死の思いで受けた。
「ナプキンは首からかけるんゃなくて、膝の上!」「ごふおっ!」
「スープは音を立ててすすっちゃダメ!!」「ぶるぁっ!?」
「パンは丸かじりしなぁい!!!」「どふぁっ!!!」
「グラスは元の位置に戻すううぅっ!!!!」「ぐはあぁあああっ!!!!」
……詳細は省略する。何があったのかは、台詞から察していただきたい。
ともあれ、1時間後。
食後のコーヒーが出てきた時点で、私たちは肩で息をしながら見つめあっていた。
「はぁ、はぁ、素敵よザフィーラ。よくここまでついてきてくれたわ」
シャマルが感無量とばかりに呟く。その言葉に、リインが小さく涙ぐんだ。
ここで誰一人突っ込みを入れないあたり、場の空気がおかしかったというほかない。他人が見たら苦笑を禁じえなかったところだ。
「最後に、重要なことをひとつ――」
「ま、まだあるのかっ!?」
シャマルは私の言葉にあっさりと首肯して、その唇を開いた。
*
「乾杯や♪」
私は、主殿の差し出したものに、自分のそれを合わせる。それは、ワインでも、カクテルでもなく――
「――ふわぁ。『この一杯のために生きとるーっ』なんて、な。その気持ち、ちょお分かる気がするよ」
グラスから口を放した彼女は、そう言って冗談めかすように笑った。若干二十歳にしてそこまで堂に入っているのは、どうかと思います、主殿……
「それにしても――うん、なるほどなぁ。確かにそうや」
「どうかしましたか、主殿?」
私の顔をまじまじと見ていた主はやては、私の質問に口元をゆるめて応じる。
「いや、ロッサが『とってもいい男に後をお願いしたから、今回は勘弁してくれ』ゆうたんよ。場所もこういう所やし、あの人らしい思うてな」
主の言葉に反応するように、私は周りを見渡す。適度に落ち着いて、しかし賑やかな空気。高級感はここそこににじみ出ているものの、かしこまった雰囲気からは程遠い空間。メニューも名前でどんなものか想像がつく、なじみのある料理が並んでいる。
「あ、すみません。これとこれ、お願いします」
通路を通る店員に、主殿はメニューを指差して注文した。そこに形式的なことは特にない。
まあ、要するに。私たちが昨日行った特訓は、まったくの杞憂であった、ということだ。さすがアコース査察官、私のスキルの程度(レストランのマナーにおいては、かなり怪しいと思われること)も、無論主殿の好みも把握済み、ということなのだろう。
しかし、だ。
「――とおっしゃると、今日誰が代わりにくるのかは、ご存じなかったと?」
「そうやね。でもロッサのことやから、全然心配しとらんかったよ。ザフィーラなんはちょお意外やったけど、な」
そう言って、彼女はグラスをくいと傾ける。見ていて爽快な飲みっぷりだった。そう言えば、主殿はアルコールに強かっただろうか。晩酌などご一緒したことがないし、会食の後も酔っているのを見た覚えがないから、よく分からない。
私の考えを察したのだろうか。彼女はやはり機嫌よさそうに笑って、両肘をテーブルに乗せる。組んだ指の上に小さなあごを乗せ、私を見つめて、ささやくように唇を開いた。
「ザフィーラが連れて帰ってくれるから、今日は酔っても安心や」
その、わずかに赤らんだ頬と、潤んだように見える瞳に、余裕ぶって笑い返すことも、かといって目をそらすこともできず。
苦し紛れに、口にした言葉が――
「――私は狼です、主はやて」
私の台詞に、主殿はふき出す。口を小さくおさえて、しばらく肩を震わせていた。
なるほど、確かに。
シャマルが言ったことは、やはり適切だったのだろう、と思う。
『マナーは、自分以外の人のためにあるものよ。細かいことはいいから、しっかりとはやてちゃんのことを思いやること!』
今までの特訓はなんだったのだ、と思わず全員が口にしたものだが、それでも、意味はあったに違いない。
何をしたら良いのかを――何を言えば、主が喜ぶのかを考え続けたからこそ。
「いつでもお守りいたします。ご安心を」
月並みでも、拙くとも。
普段は、思っても言えないような気持ちが、さらりと口から滑り出たのだから。
「――ん。頼りにしてるよ」
主殿は、はにかむように笑う。
アコース査察官の人選がよかったのかどうかは、今でも疑問がぬぐえない。
だが、主はやてがくつろいでいるようなら、それでいいのだと――そう、思うことにした。
私がグラスを持ち上げて見せると、彼女は合わせるように持ち上げる。
合わせた音が、テーブルの上に穏やかに響いた。
島田伸助さんのトークネタで、独り暮らしの女性が酔って、男性に家までおくって貰いました。そして、「胸が苦しい、ブラ外してと言われました。どうしますか?」というのが脳裏を巡った。
八神家の女性陣が任務で外出してたら、ザフィはどうするんでしょう?