「ありがとうございましたっ!」
高町なのはは、店から出てくる客に笑顔で頭を下げる。
日が沈んで間もない時刻。そろそろ夕食時、といっても差し支えはないだろう。
高町家が経営している喫茶店にして洋菓子店「翠屋」は、海鳴商店街でも人気の店である。
この洋菓子店、というのがポイントだ。今はクリスマス――つまり、世の人々が一斉にケーキを買う時期であり、高町家にとっては仕込みから売り出しまで、他の洋菓子店と同様、筆舌に尽くしがたい忙しさなのだった。
にもかかわらず、なのはは、先日はフェイトたちと一緒に施設訪問、今日の昼食は同級生たちとのパーティと、自分の用事で家を空けている。両親や兄姉は「むしろ参加するべきだ」とばかりになのはの予定を了承してくれたのだが、一人だけ手伝いもしていないというのは何とも心苦しい。家族に負担をかけた分を巻き返そうと、接客にホールの手伝い、店頭の売り子等、二役三役を、家族や臨時雇いの人たちとの連係プレーでこなしていた。
姉の美由紀と共に翠屋の前にいるなのはは、店内の様子を伺う。兄の恋人である月村忍が、くるくると接客をしていた。スムーズでそつのない応対で、なのはとしても安心して見ていられるのだが、しかし一人ではさすがに大変そうである。自分も接客にまわるべきかと思っていると、なのはの父、士郎が飛び出してきた。
「なのは、すまん!ちょっと買出しに行って来てくれるか!?」
「うん、分かった!」
なのはは威勢良く返事をして父からメモと財布を受け取る。内容を確認してすぐさま出発しようとするなのはを、姉が慌てて止めた。
「ちょっとなのは、そのままで行くつもり?」
美由紀は妹の服を指さしながら問う。なのはの格好は赤に白――いわゆるサンタクロースの格好だ。街中を歩いたら目立つことうけあいである。
しかしなのはは、あっさりと頷いて、街路を走りだした。着替える時間がもったいないし、この格好だって仕事着の一種だ。バリアジャケットみたいなものだと思えば、どうということはない。
道行く人々をすり抜けて、白い息を吐き出しながら、彼女は走る。クリスマスソングが流れる街並みを駆けていると、自分が本当にサンタクロースになったみたいで、胸が高鳴った。
(といっても、トナカイもソリも、プレゼントも今は持ってないんだけど、ね)
自分の考えに自ら茶々を入れながら、高校生らしき制服のカップルを追い越そうとする。
その先には立ち止まっている親子がいて、彼女は思わず声をあげながら足に力を込めた。
「わ、わっ!」
立ち止まろうとした彼女の努力は完全には実らず、目の前にいる子供の肩をつかんで、ようやく停止する。つまずいて転倒、親子に突っ込む――などという最悪の事態は避けられて、なのはは安堵のため息をつく。
それからすぐに我に返り、つかまっていた少年の肩を離して、90度に上半身ごと頭を下げた。
「あっと、ご、ごめんなさい!」
「――ああ、いえ。貴女も大丈夫?」
少年と一緒にいる母親は、驚いた顔を緩めて返事をする。しかし少年の方は、なのはの顔を見るなり頬をふくらませて、そっぽを向いた。
「はい、私の方は。ごめんね、君、どこか怪我とかなかった?」
なのはの声に、少年は反応しようとしない。
彼の視界に顔を入れようとすると、彼は唇を尖らせて、なのはを横目ににらむ。
「……偽物サンタ」
不機嫌丸出しの声が一言、なのはの耳に届いた。
*
「――ふぇ」
目の前の少女は、間の抜けた声をあげて茫然とする。
年の頃は中学生くらいだろうか。少年の数年上――つまり、結構な「お姉ちゃん」である。テレビで見たナントカという歌手みたいだと思ったが、よく思い出せない。だが多分、それは少女の整った顔と非日常的な服装を見てそう感じただけ。少年の語彙で表せば「気のせい」に違いない。
とはいえ――それらの感想も、後から思い返せばそんな感じだった、という程度に過ぎない。
そもそも、少年はこの時、少女の顔をろくに見ていなかった。
というのも、彼はクリスマスというものに、言いようのない不快な感情を持っていたから。年上の少女の、ふわふわとした紅白の服装を見て、頭が拒否反応を起こしてしまっていたのである。
今の気持ちは、上手く表現できる言葉が見つからない。「ムカつく」とはちょっと違うし、「悲しい」は結構近いが、ぴったりではない。
自分でもそんな感じだったから、次の母の言葉に、彼は当然のように反感をもった。
「こら!ごめんなさいね。この子、ちょっといじけてて」
母は、ぶつかってきた少女に頭を下げる。彼女は、少年の母の台詞に慌てて手を振った。
「いえ!私の方こそ、不注意で――」
少女はそう答えながら、少年の顔をちらちらと見る。
様子をうかがうような、観察の目。
先程までの母親と同じ、少年をどう扱おうか考えている表情。
それが「上から目線」というものに感じられて、何ともなしに、彼の神経はささくれ立つ。
だから、きっとクリスマスだからというだけの理由で仮装をしているであろう少女に、少年はとげとげしく言い放った。
「サンタなんていないんだ。だから、お姉ちゃんは偽物だっ!」
少年の台詞に、彼女は目を瞬かせた後にひとつ頷き、さも人生の先輩であるかのような笑顔を見せる。
「どうして、サンタはいないって思うのかな?」
(――何にも分かってないくせに)
大人びた柔らかい口調に、少年は反抗心をあおられた。
数日前のことが頭をよぎって、彼は拳を握り締めて少女を見上げる。
「皆言ってるよ。サンタなんていないって」
同級生の、馬鹿にしたような顔が忘れられない。
「僕のところだって――お父さんが嘘をついてたんだ!」
夜遅くに帰ってきた父親に疑問をぶつけたときの、戸惑った表情が頭を離れない。
まるで、世の中の皆に騙されて――自分一人が、仲間外れにされていたみたいで。
彼はその日、両親を嘘つきと呼び、今も仲直りしていない。
「君のお家では、お父さんがサンタさんになるんだ」
少女の返事を、少年は的外れだと思う。自分の言う事が伝わってないのか、それともごまかされているのか。
「お父さんは、サンタじゃないよ!」
彼は声を荒げ、足をふみならした。
言いようのない悔しさに、涙が出そうになる。
少女はそんな少年を見て、穏やかな表情のままに口を開いた。
「いきなりだけど――魔法って、あると思う?」
「そんなの、あるわけないよ」
決まっている、と思った。
ゲームやアニメには当然のように魔法が溢れてるけれど、それは画面の向こう側のこと。
サンタクロースと、一緒。
作り物だ。
「じゃあ――お姉さんが、魔法を見せてあげる」
少年の言葉を気にする風もなく、少女は胸元から小さな赤い玉を取り出し、掌に乗せて、少年の顔に近づける。
何をするのかと目で少女に訴えると、彼女は神妙な顔で言葉を紡いだ。
「――浮いて、レイジングハート」
いきなり何を言い出すのかと思えば、無機物に話しかけている――
と、彼が呆れた声を出そうとしたその時。
少女の手にある玉が、返事をするかのように明滅して、ふわりと浮きあがった。
「わぁ――」
感嘆の声をあげたのは、少年ではない。彼の母親の方だ。彼にしてみれば片腹痛い。テレビでやるマジックの方がずっと派手で、本物らしい。
「どうせ、何かの手品なんだろ。全然魔法じゃないじゃん」
文句をつけると、少女は怯むどころか、アニメの魔法使いのように余裕たっぷりに笑った。
「うん――そう見えるよね。でもね、君が信じてくれれば、これは魔法になるの」
少女の手に戻った赤の珠を、彼女は少年の手に握らせる。
「この子を、呼んであげてくれる?動け、レイジングハートって」
馬鹿みたいだ。
無理やり行事に参加させられているような窮屈さを感じて、少年は顔をしかめる。
しかし一方で――何だか、プレゼントを開けるときのような高揚感があって。
どうせ大したことが起こるわけがない。驚いてなんてやるものか――
そう思いながらも、少年は口を開いた。
「……動け」
その言葉は、誰にも届かなかったかのように空しく響く。
赤の球は、聞こえていないと言わんばかりに、ぴくりとも動かない。
ほら見ろ。
全身で不満を少女に向けると、彼女は少年の目をじっと見つめ返す。
「レイジングハート。ね?」
少女は、先生みたいにゆっくりと発音して、その球の名前を繰り返した。その親切さが苛立たしい。
「動けよ、レイジングハート!――わっ!?」
やけくそになって怒鳴ると、赤の玉は光を放って、宙を飛んだ。
蛍か何かのように、少年の周りを飛び、目の前で浮遊する。
驚きでひきつる彼の顔前で、踊るように動き、残像が文字を象る。
『Merry Xmas』
少年にはよく読めなかったが、いろんな場所で見かける文字だということだけは分かった。
「どう?魔法に見えない?」
彼女の問いに、彼はおずおずと質問を返す。
「……お姉ちゃん、本当に魔法使いなの?」
少女は、はいともいいえとも言わない。
代わりに、彼女は少年に顔を近づけて、ささやくように言う。
「もし、そうだったら――素敵じゃない?」
もしそうだとしたら。
悔しいけど、凄いと思う。何となく格好良いし、友達にも自慢できる。
「これ、僕にもできるの?」
「ごめんね、言っちゃうと魔法が解けちゃうから、内緒」
少年は、ちょっとだけ納得するとともに、大きく落胆する。それでは、全然夢がない。
そんな彼の考えを読み取っているかのように、少女は赤の球を握り締めて、穏やかに微笑んだ。
「でも――いつか、何かどうしてもやりたいことがあって、それに魔法が必要なんだったら――きっと、君にも魔法が使えるようになるよ」
「わけわかんない」
口を尖らせて言うと、少女は淡く微笑んで「そっか」とだけ答えた。
「私はね、サンタさんって、いると思うんだ」
話が、また唐突に戻る。
むしかえしてほしくない話題に仏頂面をして見せるが、年上の少女にはその表情が全く通じないことを、そろそろ少年は悟っていた。案の定、彼女は図太くも少年に親しげに話しかける。
「君にも、去年までは毎年来てくれたんでしょ?」
「それは、お父さんだもん」
「でも、プレゼントはもらえた」
何故、そんな当たり前のことを聞くのか。
少年の頷きを確認してから、彼女は急に試すような口調で言った。
「もし、君がサンタさんを信じられなくて――お父さんにそんな風に言ったら、今年は、プレゼントもらえるかな?」
少女は目を細めて、にやりと笑う。
プレゼントが、もらえない。
自分が頼んだ玩具が――手に入らない。
つい先程まで、偽物のサンタクロースがくれるものなどいらないと思っていたのに、他人に指摘されると、それが無性に惜しい気がする。
「く、くれるもん!」
「だって、サンタさんがいないんだったら、プレゼントをくれる人がいないよね?」
少年の否定に、少女は意地の悪い口ぶりで追い討ちをかける。
なんだか、ずるいと思った。
彼女は、やはり少年の考えを察したかのように、柔らかな雰囲気に戻る。
「いいじゃない。お父さんが君のために、サンタさんに変身してくれる。それって、とっても格好良いと思うな」
実際には変身するわけじゃない。父親はあくまで父親で、空だって飛べはしない。
なんだか、騙されている。
釈然としなかったが、それでも何となく言い返す気になれなくて、彼は口をへの字にしたまま、しぶしぶ頷いた。
少女は勢いよく頷き返し、それから思い出したように少年の母親を見上げる。恥ずかしそうに、彼女はお辞儀をした。
「あ、えっと、すみません。いきなりこんなことして」
「いいえ。素敵だったわ。本当に魔法みたい」
母親の言葉に、少女は嬉しそうに笑って、人差し指をたてた。
「秘密にしてくださいね」
「もちろん。魔法が解けちゃったら、大変だものね」
「はい――って、ああっ!買い出し急がないと!」
少女は、急に高い声で叫び、何度も少年たちに頭を下げながら、人ごみの中を慌ただしく走っていく。また人にぶつかるんじゃないかと彼は思ったが、口にはしなかった。
「お母さん」
少年は、ぼそりと母に話しかける。
「やっぱり、ケーキ食べたい」
振り返った母親にそう言うと、彼女は嬉しそうな顔をして、少年の手を手をとる。母親の笑顔を見たのは、随分と久しぶりのような気がした。
「じゃあ、大きいのを買って帰ろっか。近くに、美味しいケーキ屋さんがあるのよ。ほら、去年みんなで一緒に食べた――」
*
「た、ただいまぁっ!」
「お帰り!ありがとうななのは。助かる!」
息を切らせ、千鳥足で翠屋に帰り着いたなのはを、父が迎える。娘に対する礼もそこそこに、彼は厨房に走り戻った。
床にへたり込みそうになるが、気合いの声とともに、足に力を込めなおす。ここはお仕事の場。店員が気を抜いては、客が安心してクリスマスを楽しめない。
なのはは息を整えながら店頭に出る。ねぎらいの声をかける姉に返事をした後、なのははふと思い立って、彼女の顔を見た。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「ん、どうしたの?」
「サンタクロースって、いると思う?」
何を突然、と、美由希は笑う。
からかいのひとつも返ってきそうなものだが、なのはの姉はそれをしない。
ただ、妹の目を見つめて、軽く頷いて。
「そんなの、いるに決まってるよ」
他のことを一切言わず、それだけをきっぱりと答えた。
魔法のような、力強い言葉。
――否。
魔法だって、そう簡単には、相手を力づけたりはできないだろう。
「うん――ありがとう、お姉ちゃん!」
なのはは、美由希に感謝を示した。
(さ、まだまだこれから。頑張らないとっ)
両手を叩いて息をまくなのはの頬を、冷たいものがなでる。
周囲を見渡すと、雪がかすかにちらついて、街中を踊っていた。
それは、きっとありふれた光景で、でも、奇跡的なほどに綺麗で。
「――メリー・クリスマス」
なのはは誰にともなく、祈りの言葉を口にした。
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