休日のとある朝。
私、盾の守護獣ことヴォルケンリッター、ザフィーラは、絨毯に伏せてじっとしていた。
いつも通りだと言われれば反論をする余地がないのだが、では普段より活発に動きたい朝かと問われれば、ほとんどの者が首を横に振るだろう。
「冷えるわけだな」
薄紅色の髪の少女の呟きに、私は軽く頷く。窓に目を向けると、一面の白が広がっている。無論、窓が曇っているというのではなく、外の景色のことだ。
この日、海鳴市では足元が隠れそうな程に雪が積もっていた。
「ザフィーラ、庭を駆け回ってきたらどうだ?」
守護騎士の将は、そんな台詞を言って唇を斜めにする。彼女が冗談を口にするようになったのはいつからだったろうと思い返しながら、私は肩を小さくすくめた。犬だって、駆け回るものから炬燵で丸くなるものまで様々だろう。私は、用もなく積雪ではしゃげぐような可愛らしい遊び心を持ち合わせていない。
「なあなあ、後で散歩に行こうぜっ」
一方で、つい先程起床してきたパジャマ姿の幼い少女は、私の考えとは対照的に可愛げのある提案をした。
「うーん、危なくないかしら」
小首をかしげながらつぶやいたシャマルの意見には、私としても賛成だ。
確かに、ある程度頑丈にできている私たちの体は、並大抵のトラブルでどうにかなるものではない。しかし、不要なリスクは進んで負わなくてもよいだろう。
……決して、単に面倒だからという理由ではない。念のため。
私はその旨を伝えようと口を開き――
「雪の中のお散歩ですか?楽しそうですぅ!」
八神家の末っ子が元気よく賛同したため、私は発言する機会をあっさりと失う。
「ほんなら、たまには皆で行こか?」
キッチンから顔を出した主はやてがにこやかに言って、雪の中の行軍が確定したのである。
基本的に即決即実行の我々だが、一家で方針が決まった時の行動はとみに早い。私たちは朝食の後、すぐさま着替えて外に出る。
車道には雪がなかったが、歩道にはしっかりと雪が積み重なっていた。足跡は見えず、綺麗な白の絨毯が続いている。休日の朝ということもあって、人通りが少ないためだろう。
「真っ白ですーっ」
人間サイズのリインが嬉しそうに雪道を駆けて、足跡をつけていく。
「あー、リイン、そんなに急いだらあかん、よ――」
主殿が注意を促すが、わずかに遅かった。彼女の「あかん」の辺りで、リインは絵に描いたように雪につまずき、地面に体をうずめる。
「あうぅ〜」
くぐもった声を漏らすリインに駆け寄ると、彼女は涙目になりながら雪だらけの体を起こした。
「リインはただでさえ歩き慣れとらんからなぁ……気をつけなあかんよ?」
怪我がないか確かめながら雪を払う主殿に、リインは笑顔になって頷く。
「はいですー。でも、ザクザクするのがとーっても気持ちいいですぅ」
銀髪の少女は上機嫌のまま、ヴィータと先を争うように道を縦横に歩き回り、足元を踏み固めていく。
彼女たちについていくこと十分。散歩中によく立ち入る公園で、私たちは休憩がてらに雪景色を楽しんだ。
「綺麗に積もってますねぇ」
「ほんまや。雪化粧とはよお言うたもんやな」
シャマルと主殿の会話にあいづちを打とうと首を縦に振った瞬間。
「おぷっ?」
私の顔面に雪玉が直撃する。今度は首を横に振って雪を振り払い、何事かと周囲に目を向けると、ヴィータがいつの間にやら雪玉を手に持って、にやりと笑っていた。
「雪の遊びって言ったら、これらしいぜ」
察するに、雪玉をぶつけ合って戯れる、というところだろうか。よほど固く握らない限りは、ぶつけられても怪我をしないし、普段できない遊び方という意味で斬新でもある。
しかしだ。
私はあえて異を唱えたい。
ヴィータ、お前は一体私に何を求めているのだ。
私は今、いつものごとく獣形態である。雪の球を作るどころか、持つこともできない。口でキャッチすることぐらいはできるかもしれないが、投げ返せはせず、口の中で天然かき氷を食べる羽目になるだけだろう。
「ヴィータ、お前――」
反論を口にしようとした時、ヴィータは既に投球の姿勢に入っていた。
二球目を投げる気満々の彼女に、質問や指摘をする暇はない。
朱の髪の少女は大きく振りかぶり、私は四肢をかがめる。
その時、彼女の上空から雪玉が落ちてきてヴィータの頭に当たり、柔らかい音とともに弾けた。
「油断大敵だな、ヴィータ」
瞬きをするヴィータに、シグナムは平静な口調でそう言って、先程のヴィータと同じように不敵に微笑む。どうやら雪玉を投げ上げてヒットさせたらしい。投てきは専門外だろうに、器用なものだ。
「――のやろう、やるじゃねぇか」
言うが早いか、ヴィータはサイドスローでシグナムの顔面を狙うが、彼女は束ねた髪をなびかせながら軽やかに避けた。
「私は仮にも守護騎士の将だぞ。お前が相手でも、遅れはとら――」
シグナムは台詞の途中で首を後ろにそらし、彼女の鼻の先を雪玉が通過する。
その一瞬後、唐突に開いた空間の穴から球体が飛び出し、シグナムに迫る。
とっさに振るった彼女の腕に、雪玉は綺麗に砕け散った。
「おっしい!」
指を鳴らして言うシャマルに、シグナムが首をすくめながら声をかける。
「なんだ、シャマル。お前まで参加するつもりか」
「それはもう。私の全方位攻撃、いくら貴女でもそう簡単にはかわしきれないわよ」
くすりと笑った金髪の女性に対し、シグナムは口を斜めにして応じる。
「ああっ、リインも参加するですよ!」
「私もや。雪合戦……とはちょお違うけど、こういうの、やってみたかったんよ」
リインと主殿が、楽しそうに言いながら、しゃがみこんで一斉に雪玉を作り、結局、全員が入り乱れての投げ合いが始まった。
大小様々な球が飛び交い、歓声と悲鳴が公園に響き渡る。
球が投げられない私はというと、自らを囮にして、他の誰かへの誤爆を誘っていた。
「あ、っと、ザフィーラすばしっこい!」
「いてっ、くそー、うっとおしいぞお前!」
非難の声が飛ぶが、消極的な作戦なのは勘弁してもらおう。この形態の私には、基本的に防御と回避しか選択肢がないのだから。
途中、近所の方々が何人かが私たちを見て、微笑みながら去っていく。まあ、普段に比べれば命の危険もなく、可愛らしいものだ。
私に向かって飛んでくる、ヴィータの剛速球も、鉄球ではないのだから、喰らっても――
「ぐぶおぁっ!――く、ヴィータ、強く固め過ぎだ!」
「氷玉にはなってねーだろ?ちっと痛いだけだから心配すんな!」
そんなこんなで、私たちは、ところどころ地面がむき出しになるまで雪玉を作り、乱戦を続けて。
主はやてが、弾んだ息を吐き出しながら地面に座り込んだ。
「あー、降参やー」
慌てて駆け寄る私たちに、主殿は笑顔とともに手を振り、大丈夫であることをアピールする。
今もかすかに振り続ける雪に目を細めながら、彼女は小さく呟いた。
「あの子は――どうしてるんやろな」
その言葉に、我々は息をのむ。
全員が、何とはなしに同じことを考えていた。
あの日、今日と同じような灰色の雪空に消えた、祝福の風。
静かに振り続ける雪は、嫌が応にも彼女の最後を連想させる。
忌むべき記憶では決してない。しかし、懐かしむような想い出でも、ない。
だから、私たちは――普段は落ち着いた年長組や、主殿まで、はしゃがずにはいられなかったのかもしれない。
十分に笑うこともできなかった、彼女の分まで。
「そんなの、決まってら」
私の感傷は、ヴィータのぶっきらぼうな声で、どこかに吹き飛んだ。
我々は、お互いの顔を見て、示し合わせたように頷く。
「そうよね。あの子なら――」
「きっと、笑顔でいます」
「リインは、会えなかったですけど――リインもそう思うです!」
順番に、言葉をリレーするようにして想いを繋げ合う。
「同感です。何しろ――」
主である貴女が笑顔でいるのですから。
私は、自分の考えを確かめるように呟いた。
主殿が幸せであるのなら、自分の身など、惜しくはない。それは守護騎士たちの共通認識だ。きっと彼女も一緒であったに違いない。
風となったのが自分であっても、悔いはない。
――否、きっと、主はやての傍らにいられないことを残念には思うだろう。
だからこそ。
彼女のことを想うのなら、笑顔でいるのが、一番の手向けになるはずだ。
「うん――そうやな。そうやと、ええな」
「絶対だ!ずっと一緒だったあたしたちが言うんだ、間違いねぇ!」
主はやての呟きに、ヴィータが力強く答える。
主殿は穏やかに微笑んで頷き、空を見上げる。私たちもつられるようにして顔を上に向けた。
「ありがとうな」
誰にともなく呟いた、少女の言葉は、宙にとけるように吸い込まれていく。
灰色の空から降り注ぐ白の結晶はあくまでも柔らかく。
時折吹く風に応じて、踊るように宙を舞った。
[C171]