「だ、大丈夫ザフィーラ!?何とか吐けない?ヴィータちゃんは見ちゃ駄目!」
慌ててシャマルが椅子から立ち上がり、駆け寄ってくる。ヴィータと私はその様子に目を瞬かせた。
「な、何だよ、そんなにまずいものだったのか?」
「いきなり飲み込んでしまったから何とも言えんが、少なくとも変な味ではなかったぞ。というか、そもそも味もしなかった――」
「それはそうよ、お薬だもの!ああ、こうなったら、『旅の鏡』で胃から直接――」
何だかひどく危険な摘出を試みようとするシャマルを、私はヴィータとともになだめた。
事の経緯を話そう。
とある休日の午後、八神家のリビングでのことだ。私、盾の守護獣ことヴォルケンリッター・ザフィーラが、ヴィータとともに散歩から帰ってくると、シャマルが難しい顔でノートと飴玉らしい物体を見比べていた。私たちは、彼女が菓子作りの研究でもしているのかと思い、ヴィータがふざけて、「味見」と称して私の口に放り込んだという次第。
「で、一体何なのだ、これは。少なくとも毒物ではないようだが」
私の質問に、シャマルは「本当は違うものを作るつもりだったの」とか「きちんと効果を確認してはいないんだけど」とか前置きしながら、その効果を口にした。
「いわゆる、惚れられ薬ってやつかしら?飲んだ人から、どうもフェロモンというか、人を惹きつける成分が盛んに分泌されるみたいなの。本当は、飲んだ人に自信を持たせるようなのを作るつもりだったんだけど――」
「……なんだそりゃ」
呆れた口調で放たれた言葉はヴィータのものだったが、私も内心同感だった。普通の効用の薬を作るつもりで、何故そんな怪しげなモノができるのか、一度真剣に問いただしたい。作成中に何か材料に突然変異でも起こっているのか。まさか、料理も同様の理由で奇妙な味になっているのではあるまいな――
私の思考が脱線しそうになっている隣で、シャマルも真剣な顔で独り言を始める。
「でも、私たちに変化がないってことは、大丈夫だったのかしら……即効性だからすぐに効果がでるはず――いやでも個体差も否定できないし……いっそ私が――」
「せめて見た目がもう少し危険そうだったならば、料理も薬も口にしな――ん?シャマル何を」
我に返った私が止めようとした時には既に遅く、シャマルは自分の作った怪しげな物体Xを飲み込んでいた。ヴィータは止めなかったのかと慌てて視線を移すと、彼女は両手を頭の後ろで組んだまま、興味と危機感をなくしたような顔で口を開いた。
「案外、まともにできてたんじゃねーの?ザフィーラが飲んでも何ともなかっ……」
台詞の途中で空く、不自然な間。
少女の頬が、見る間に紅潮していく。視線が落着きをなくし、そのくせ目の前の女性から意識を離せなくなっているのが、はたから見ても分かった。
……これは、非常によろしくないのではなかろうか。
私と同じ感想を抱いたらしいシャマルが、恐る恐るヴィータに手を伸ばした。
「えっと――ヴィータちゃん、大丈夫?」
「う、あっ、さ、触んなっ」
台詞とは裏腹の、弱々しい抵抗。ヴィータは自分の言葉に驚いたように目を見開き、唇を噛んでかすかにうつむく。シャマルが再び手を伸ばして頭をなでると、幼い少女は嬉しそうな、怒っているような、恥ずかしそうな複雑な表情をちらつかせた。
主はやてやなのはになでられた時と似たような反応からして、もう間違えようがない。彼女はばっちりシャマルに惚れてしまっている。
そのことにショックを受けたのか、シャマルは体を小さく震わせた。
「か……可愛い」
む?シャマル、今、何と――
「可愛いわヴィータちゃん!逆に私がどうにかなっちゃいそう!ああっ、もっとツンデレしてもいいのよっ!?」
シャマルはヴィータを抱きしめて、感極まったように言った。ヴィータの方は何やら叫んでいるが、よく聞き取れない。シャマルが頭を抱えているせいもあるだろうが、そうでなくてもまともな台詞が言える精神状態ではないと思われるので、気にしないことにする。
そのままこの場に居座るとヴィータかシャマルあたりに邪魔者扱いされそうな(そして何かしらの被害を受けそうな)予感がするので、私はそっと八神家を離れた。
それにしても、私の時とシャマルの時の差異は何を示すのだろう。私が飲んでも効かなかったことも気になるが、シャマルが飲んだ時に、私に効かなかったのも気になる。
まあ、考えても仕方のないことだ。夕食時には二人とも我に返っているだろう――
と、道すがらのんびりとそんなことを考えていると、前方から犬が走ってくるのが見えた。何かに追いかけられてでもいるのだろうかと思い、彼女(前方の犬のことだ)の後ろを見るが、特に何もない。
それもそのはずで、彼女の眼は、逃げる者のそれではなく、むしろ追う側の眼であった。
その全力疾走ぶりに、私は頭をフル回転させて心当たりを探す。
(まさか――)
その恐るべき仮定に遅まきながらたどり着いた時には、その犬は目前まで迫っていた。
「わふぅん!!」
まるで発情期のような甘える声で、私に向かって飛びかかる。
(ちょっと待てぇい!)
大砲の弾のような突進を紙一重でかわし、振り返る。彼女も着地を成功させ、私と視線を合わせる。ー―先程の自分の言葉を訂正しよう。あれは、追う者の眼ではなく、狩る者のソレだ。
私はその場から一目散に逃げ出す。後ろでも地面をける音が聞こえて、鳥肌がたった。
何故だか分からないが、薬が効いている。しかも、人間ではなく、犬に対して。もしかして、私が子犬の姿でいるのが原因なのか!?
(シャマル、シャマル!聞こえるか!?さっきの薬、解除する方法を教えてくれ!)
私の切なる思念通話は届かなかったのか、シャマルは返事をしない。その間にも、散歩している犬(♀)が振り返り、家の中でくつろいでいる犬(♂)が吠え、めったにいないはずの野良や、主人の手を振り切った者たち(♂♀)が群れをなす。速度を落としたら、私は一気にのしかかられて、その場で阿鼻叫喚の地獄絵図が広げられるであろう。
私は住宅街を抜け、海沿いを駆け、山近くのけもの道を走った。途中で私たちの姿を見た人々は、きっと何事かと思うに違いない。私の姿を覚えている者がいないことを願う。八神家のペットはトラブルメーカーなどと、主殿の評判に傷がつくようなことがあれば、まさしく切腹ものだ。
海鳴市を駆けずり回りながら「どうする」を頭の中で何十回も繰り返した後、私は一つの結論に達した。
誰かの家にかくまってもらおう。それも、できれば他の犬が入れないような――
近くにあるマンションの住人を思い浮かる。目的地を定めた後、私は猫もかくやという身のこなし(自分で言うのも変な話だが)で塀や屋根をつたい、追いかけてくる犬たちをまきつつ、マンションの階段を駆け上った。これだけの高いところなら、そうそう追っては来ないはず――!
ハラオウン家のインターホンを飛び上がるようにして押す。リンディ殿やフェイト、クロノなど、誰かしらがいてくれれば何とかなる。私は、幸運の神、または女神がいることを祈りながら返事を待つ。
そしてその扉は、きっかり5秒後に開いた。
「はーい。どなたですかぁ〜?」
「申し訳ない、かくまって――く…れ……」
私の懇願の声は、尻つぼみに小さくなる。
ハラオウン家のドアは、私が頼むまでもなく、チェーンも外され、大きく開いた。
それは本来、諸手をあげて喜ぶべきところなのだが、私は冷や汗をかきながら硬直していた。
そうだ。何故気付かなかったのだろう。
犬に薬が反応しているというのなら、ここは一番来てはいけない場所だったのに。
目の前の少女は、そっと私の頭をなぞり、首をなでる。その頬は朱に染まり、いつもあどけない笑顔を浮かべている幼い顔は、どこか女の匂いを漂わせている。彼女の耳が――私と同じ犬型の耳が、ひくついているのが見えた。
扉を開けた女神の名は、アルフ。
狼を素体とする、使い魔だ。
「あたし、どうしたんだろ……ううん、いままできづかなかったよ……ざふぃーらって…すっごく……」
少女の顔が、徐々に迫る。
薄紅色の唇が、私の無骨な口との距離を狭める。
まずい。
これは後々、あまりにも言い訳がきかない。
しかし首を動かそうにも、そっとそえているだけに見える細い両手は私の頭をがっちりとホールドし、わずかにも身動きするのを許さない。
「アルフ、落ち着いてくれ!」
「おちついてなんかいられないよ。こんなきもち、つらくって――」
声をご近所に聞かれたら、あらぬ噂が駆け回りそうな会話の最中、勇敢にも私を追いかけてきたらしい犬(♀)が一匹、アルフに向かって吠える。
アルフは相手にゆっくりと振り向き――
その犬は耳と尻尾をたらしてすごすごと退散した。一体彼女がどんな表情をしていたのか、想像するだに恐ろしい。
なおも迫ってくる彼女を、私は全力で押しとどめる。手を使えるように、わざわざ人間形態になって。
後から考えれば、獣形態でいた方がまだ目撃されても誤解されないのだが、この時にはそんなことも気付かないほどに必死だった。
「ざふぃーらぁ、あんたがほしいよぅ。たべたいくらい」
食べるのかっ!!私はステーキと同列かっ!?
「えっとね、それだけじゃないよ。あたしのことも、たべ」
ぐぬああぁああぁぁ!!
お前の名誉のために、その先は言わないでくれ!!!!!
「やめんがごっ!?」
アルフを制止しようと大きく口を開けた瞬間、真横から弾丸のようなものが飛び込んでくる。
その正体不明の物質は芸術的なコースで私の口の間を通り、歯の内側に反射して、喉に飛び込んだ。飴玉のようなそれを反射的に飲み込んでしまった後に、飛んできた方向を見ると、はるか遠距離からグラーフ・アイゼンを構えているヴィータと、小瓶を手に持つシャマルの姿が映った。
*
まあ、大事にいたらなかったのが幸いだった、としか言いようがない。
ヴィータを可愛がっていたシャマルは私の念話で我に返り、解毒剤を飲んだ後に私を探していたということだった。後一分も遅かったら、色んな意味で筆舌に尽くしがたい状況になっていたかもしれないと思うと、ぞっとする。
アルフの方は、随分とあっけらかんと許してくれた。実害はなかったから、ということらしい。見事なまでにさっぱりとした性格である。
「それに、もともとざふぃーらのことはすきだぞぉ?」
しかし、誤解を招く発言は控えていただきたいところだ。身内であれば、きっと彼女の発言の意味を過不足なく理解してくれるだろうが……
「あー、まったくひでぇ目にあった……」
なりゆきでお邪魔しているハラオウン家のリビングで、ヴィータはげっそりとして呟く。シャマルは不満そうに頬を膨らませた。
「あ、ヴィータちゃんこそ酷いわ。私のこと嫌いなの?」
「これ幸いと、あたしを着せ替え人形にするようなやつ、好きになれるかよ」
「ううっ、さっきは私とあんなに燃えあがったのに――」
「変なこと言うんじゃねぇ!」
守護騎士二人が漫才を繰り広げている最中、リンディ殿とクロノが顔を出す。
「ただいまー。あら、ヴォルケンズの皆さん、いらっしゃい。にぎやかね」
「君たちがここにくるのは珍しいな」
私たちが事情を説明しようと口を開いた時、リンディ殿がテーブルの上の小瓶を目ざとく見つけて手に取った。
「おいしそうね。一つもらっていい?」
「「「駄目ですっ!!!」」」
我々の声に驚いたリンディ殿が、小瓶からとりだしたばかりの薬を放り投げ、その行方を追った私たちは天井を見上げ――
そして、クロノの口に入る。
「んがぐっ!?」
「だ、大丈夫かっ!?」
「これは、一体――」
そこで、見つめあうクロノと、人間形態の私。
その後――何が起こったのかは割愛しよう。やましいことには至らなかったものの、全員入り乱れての大騒ぎだったとだけ付記しておく。
結論。怪しいものには手を出すな、というお話。
[C30]