夜の帳が降りて、星が地を照らす時間帯。大抵の職員が夕食を終え、あるものは自室で英気を養い、あるものは残業務に精を出している頃。
私、盾の守護獣ことヴォルケンリッター・ザフィーラはロビーの自販機の陰に隠れていた。
視線の先では、赤髪の少年、エリオが身を固めて、じっとソファーに座っている。仕事を終えているのに彼がこの場所にいる理由を、私は知っていた。
19時40分。桜色の髪の少女キャロが、手を振りながらエリオに近づいた。
「お待たせ、エリオくん」
「ううん、まだ待ち合わせ時間前だよ」
キャロの言葉に、エリオがはにかみながら答える。二人は頷きあって、玄関に歩いていき、私はそれを忍び足で追いかけた。
正直に告白しよう。はっきり言って、私のしていることは出歯亀というやつである。もちろん『興味本位で何をやっているんだこの獣は』という意見もあるかと思うが、私は決して野次馬根性を出しているわけでも、ましてこの状況を楽しんでいるわけでもない。
ことの始まりは、キャロの素朴な質問だった。
「ザフィーラさん、男の人が喜ぶことって、何ですか?」
聞きようによっては妖しい響きがしなくもないその台詞に、私は首を傾げながら事情を聞きだす。
「ザフィーラさんの家族の方、皆さん女の方ですよね?普段どのようにしてるのかなって」
「――エリオとの付き合い方の、参考にするのか?」
少女は私の確認にこっくりと頷いた後、慌てるように両手を胸の前で振った。
「あ、エリオくんと仲良くできてないってことじゃないんです。エリオくん、とっても優しいし」
でも――と、そこで彼女は言葉を切る。私は続きをうながすでもなく、「そうか」と頷いた。うっすらとだが、想像はつく。
恐らくキャロは、スバルとティアナのような気の置けないパートナー、あるいは私たち八神家のような家族の関係をエリオと築きたいのだろう。だとしたら、彼の生真面目さが嬉しい反面、水臭いと思うところもあるのかもしれない。
しかし、エリオは多分、パートナーであると同時に、女の子としてキャロを見ているのだと思う。
自分は男だから、彼女を守ってあげたいし、できるなら格好悪いところを見せたくない――言い換えれば、キャロに甘えるようなことはできない。同じ男としては、その気持ちがよく分かる。
「お前自身も分かっている通り、気にすることではない。私から見て、お前達は十分に出来たパートナーだ。無理にスバルたちのようなコンビを目指さなくても、お前たちなりの関係があると思う」
私の言葉を頷きながら聞く彼女の後ろから、金髪白衣の女性が近づいて私たちに声をかけた。
「――あら?珍しい組み合わせね。どうしたの?」
「シャマルか――」
今の話を彼女に話してもいいのかどうか、キャロに視線を走らせる。少女はその聡明さで私の意図を汲み取って、私が口を開く前に事情を説明した。
「そうね。ザフィーラの言うこともその通りだと思うけれど――やっぱり、その『仲良くなりたい』って気持ち、とっても大事だって先生は思うわ」
キャロの話を聞き終わると、シャマルは妙にお姉さんぶって腕を組んだ。それから、桜髪の少女に向かってにっこりと微笑む。
何故だろう。その一点の曇りもないはずの笑顔に、裏を感じてしまうのは。
「私たちが以前暮らしていた星でのスキンシップなんだけど――きっと、こういうのがエリオ君喜ぶと思うわよ」
そう言って、シャマルは彼女の耳元で何事かをささやく。キャロはその言葉を真剣に聞いて、「分かりました!」と力強く首を縦に振り、私たちに一礼して去っていった。
『エリオくん――ぎゅってして』
『え……キャロ?』
『それから、私のここに――ん……何だか、ドキドキする。エリオくんは?嬉しくない、かな……?』
『キャロ――僕は――』
「ザフィーラ、急に周りを見渡しちゃって、どうかした?」
「いや、何か妙な念を受け取ったような」
「そう?私は聞こえなかったけど」
「――そうか。いや、私の方はどうでもいい。それより、何を吹き込んだ?」
「んー?可愛らしいおまじないを、ちょっと」
楽しそうなシャマルの表情に言い知れぬ不安が背筋を昇るのは、きっと老婆心なのだろう――だろうが、始めに相談を受けていた私としては、シャマルがいらんことを教えていないか気がかりで仕方がない。その後のキャロの動向を追いかけて(ストーカーと言われかねんな……)、彼女達が訓練後に二人でどこかに出かけるという情報を入手した。
長くなった。話を現時点に戻そう。
少年少女の二人は、機動六課の庭の一角で、ベンチに座って話していた。内容は、フリードが舌を火傷したとかフェイトが頭をなでてくれたとか、罪のない微笑ましいものばかり。どこに外出するというわけでもなく、単なる散歩だったようだ。
やはり私の思い過ごしだったか。徒労感は否めないが、それでも健全な(夜中の散歩くらいは多めに見よう。彼らは幼いとはいえ、局員なのだ)様子の二人に安心しながら、そっと道を引き返そうとする。
「あ、そう言えばね。私、シャマルさんにおまじないを聞いたんだ」
「へえ、どんな?」
「お友達が、もっと仲良くなれるおまじない。えっと……エリオくん、目をつぶってくれるかな?」
なん……だと?
いや大丈夫だ。彼らにやましいことは何もない。
そう思いながらも、私は再びベンチの二人に目を向ける。目を閉じたエリオに、キャロがゆっくりと顔を近づけ――
*
「――どう、かな?エリオくん」
エリオ・モンディアルは、目の前の少女の質問に、ぱくぱくと無言の返事を返す。予想もしなかった彼女のアプローチに、心臓がパニックを起こして喉をふさいでいるかのようだった。
「好きな人のほっぺたに口づけすると、お互いがもっと好きになれるんだって」
「そ……そう、なんだ」
かろうじて搾り出した声はみっともないくらいに裏返っていて、端から自分が聞いたら恥ずかしさで暴れまわるに違いない。彼はそう思いながら、キャロの肩越しに夜の景色を見つめた。胸が高鳴りすぎて、彼女の顔を見たら卒倒しそうだったからだ。
思えば、彼女にはいつもドキドキさせられっぱなしのような気がする。こんなに意識してしまうのは、自分だけなのだろうか。
「エリオ、くん?」
小さな呼びかけに、少年は我に返る。反射的に見た少女の目は――潤んでいた。
「その……迷惑だったかな……」
消え入りそうなその声に、彼は胸を締め付けられた。
「そ、そんなことないよ!ちょっとびっくりしただけ!」
憎からぬ相手が自分のことを考えてくれていてくれるのだ。喜びこそすれ、迷惑なはずがない。
そう言いたくて、懸命に言葉を重ねる。
自分の言葉に微笑んでくれる彼女が、子供心にも気を遣ってくれていることが分かって、エリオは内心冷や汗をかいた。確かに、言い訳に聞こえても仕方ない。
(――彼女と同じことをすれば良い)
そうだ、誰かが言っていた気がする。こういう時は言葉だけでなく態度で示さなければ駄目だと。
「キャロ、目を、閉じてくれる?」
きょとんとしたまま目を閉じた少女の頬に、エリオは唇を寄せる。
頭が真っ白で、感触も何も分からなかったけど、彼女の嬉しそうな顔だけは彼の記憶にはっきりと残っていた。
*
(やれやれ――)
仲睦まじい二人を見て、私はため息をつく。思わず口を出してしまったが、結果的に上手くいってよかった。全く、こういったことには深入りをするべきではない。心臓に悪いことこの上ない。
とりあえず、シャマルの助言の内容も分かったことだし(いかがわしい内容でなくて本当によかった)、今度こそ戻ろう――
と、その時、気持ちの問題でなく胸が熱くなる。
(んがっ!?)
全身を貫く痛みに、私は声にならない叫びをあげた。
何事かと体を見ると、胸の辺りから白い手が生え、私のリンカーコアを掴んでいる。
(待て、シャマル、それは洒落にならん、死ぬ――)
盾の守護獣、覗きの罪で消滅。
毛の逆立ちそうなくらい恐ろしく、しかも不本意な判決が頭をよぎる。
(人の恋路を盗み見るなんて――はやてちゃんに代わって、いえ、女性代表でおしおきよ?)
う、く、確かに褒められた行為ではない。それは認める。
だがしかし、これには訳があるのだ!
いやそれ以前に!
(シャマル、どうして私がここにいることを知っている!?お前もひょっとして――)
(問答無用!)
その後のことは、口に出すのもはばかられる。
「ワ……ワフゥ――」
少年少女が宿舎に去った後、私は一人、息も絶え絶えに夜の茂みに伏せっていた。
ザフィーラははやての尽力により、「盾の淫獣」として生まれ変わりました。(読者にとって)めでたし、めでたし。