その日、私ザフィーラは例のごとく子犬姿で歩いていた。道行く人が時折不思議そうにこちらを見る。それはそうだろう。バッグを背負っている犬など、日常でそうそうお目にかかれるものではない。
状況としてはいたってシンプルだ。外出しているシグナムに届け物をする、ただそれだけである。洗濯をしていた主殿から急に頼まれたのだ。
剣道場に近づくと、鋭い掛け声と、バシンバシンという乾いた音が聞こえてくる。中を覗き込むと、主殿と同じかそれより若干上の子供達が面をつけて竹刀を振り回していた。
それより頭一つ二つ飛びぬけている人物が二人。その内一人がシグナムだということは、声を聞かなくとも、面の向こうの瞳ですぐに確認が取れた。もう一人には見覚えがないが、ここの師範なのだろう。
彼女は子供達を見回り、時には見本を見せ、時には竹刀の持ち方や足のさばき方を丁寧に教えている。
正直なところ、想像以上に先生の姿が板についていて驚いた。彼女のことだから「竹刀の届くところまで近づいて叩き込め」などと言っているのではないかと思っていたからだ。
そのうち稽古が終わり、子供達が着替えに行っている間にシグナムが私に近づいて声をかけてくる。防具が暑いのだろう、額には汗がにじんでいた。
「どうした、ザフィーラ。散歩でもしに来たか」
「ああ。届け物ついでにな」
背中を揺らして見せると、シグナムは訝しげに首を傾げる。
「主殿からだ」
「?……ふむ」
首をひねりながらも、彼女はバッグを受け取って中身を覗く。中に入っていた袋を取り出し、更に覗き込んで、シグナムは一気に顔を赤らめた。
「……主はやては、なんと?」
「――『念のため』だと」
後は、私に対して『絶対、中身は見たらあかんで?』とおっしゃっていたか。
無論、主殿の言葉とあれば、私には是も非もない。よほどのことがない限り、ただ従うのみである。
シグナムは「そうか」と一言答え、バッグを抱えて着替えに向かう。
特に何をするでもなくその場に座していると、一足先に更衣室から出てきたらしい子供達が私を見つけてわらわらと寄ってきた。
「あれー、犬がいる」
「こいつ、野良じゃねーの?首輪ないし」
「えー、その割に毛並みよくない?」
子犬姿のせいもあるのだろう、彼らは臆する様子もなく、むしろ興味深げに私を覗き込み、触ってくる。そのうち少年が、私をひょいと持ち上げた。
「あ、こいつオスだぜ」
ぶっ!?
女の子もいる前で、そういうことをするものではないぞ少年!
私は必死にジタバタともがく。急に暴れだした私に驚いて、少年の手が離れると、私は体をひねって着地した。
「もー、ワンちゃん恥ずかしがってるじゃない」
「男が男に見られて、恥ずかしいわけあるかよ」
そういう問題ではないと抗議の声をあげようとしたところで、シグナムと先生らしき男が剣道場から顔を出す。彼女は苦笑しながら私を抱え上げた。
「こいつはウチの犬だ。賢い奴でな、私の様子を見に来たらしい」
彼女の言葉に、子供達は次々と質問を浴びせる。不快に思う様子もなく相手をするシグナムは、主殿の寝顔を見る時のような穏やかな顔をしていた。
「あ、やべ、時間ねーや。じゃ先生、失礼します。シグナムさんも、また!」
一人の子供がそう言って帰るのを皮切りに、彼らは思い思いに散っていく。
その内の一人が去り際にシグナムの胸に触り、彼女よりもその隣の女の子が怒って追いかけていった。
……まあ、彼女がさほど動揺していないところを見るに、珍しいことではないのだろう。むしろ私の方がうろたえてしまった。
全員が帰ったのを確認して、私たちも岐路につく。
その途中、シグナムは自身を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「なぁ、ザフィーラ……あの年頃の子は、やはり胸に興味があるのだろうか」
(――分からん)
男なら年など関係なく興味があるに決まっている。
――と思ったが、それをシグナムの前で口に出すのは何となくはばかられた。
それに、彼女の言は、恐らく我が主のことも指しているのだろう。時折、シグナムの胸を触る隙を見計らっているように見えるのは、私の気のせいではあるまい。
私は、隣を歩くシグナムを見つめる。
彫像のように整った容姿。
真面目で義理堅く、不器用だが一本気な性格。
胸の話を差し引いても、男女問わず気を引くことは想像に難くない。
まあ、その本人が私に負けず劣らずの朴念仁なのでは、色気のある話もなかなか近づいてこないだろうが。
私がそんな想像をしていることを知らないシグナムは、道行く女子高生にふと目を移す。
学生に興味があるのだろうか。大人びてはいるものの、彼女の容姿は高校の制服を着てもさほど違和感はないだろう。
高校生となった彼女を想像する。
『お姉さま……これ、食べてください!』
『ありがとう。私にはこんなことでしか気持ちを返せないが――』
『ああ、お姉さま。いっそ私ごと、食べて――』
「どうした、ザフィーラ」
(いや……お姉さ、もとい、高校生に興味があるのか?)
「――!違う! 別に高校の制服を着てみたいとか、そんなことを思ったことはない!」
……そうか、思ったことがあるのか。
彼女は咳払いをして私から目をそらす。それから遠くを見るようにして、再び口を開いた。
「最近、感じるのだ。子供の成長は本当に早い、とな」
先程すれ違った高校生を振り返る。
楽しそうな笑い声が耳に届いて、つられるようにシグナムも微笑む。
「いずれ、主はやても卒業し、成人し――妻となり、母となっていくのだろうな」
そう呟いた彼女の声は、嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。
我々は、主が在る限り、生き続ける存在。
主を守るために、老いることもない。
先に逝ってしまうことがない代わりに、人としての時間を、ある意味では共有できない。
それが、幸せである半面、少しだけ寂しいときがある――
私は首を横に振って、湧き上がる感慨を頭の隅に追いやった。
(――主殿が結婚したら、我々は小姑だな)
「ふふ、小言は自重せねばいかんな」
私の言葉に、守護騎士の将は、小さく笑って答える。
未来が楽しみだと思える。
過ぎ去っていく時間を、惜しいと思える。
そんな世界が、いとおしいと感じた。
「そういえば、今日の礼が遅れたな。主殿の遣い、助かった」
(構わん。暇な身だ)
「お前も何か始めたらどうだ?」
(そうだな――)
私たちはたわいのない話をして帰り道を急ぐ。
そろそろ昼食の時間帯だ。主殿の食事を想像しつつ、我々は青空の下を歩いていった。
と、ここで話が終われば、実にいい一日だったのだ。
はっきり言って蛇足、と表現する他ない。
全く、誰の悪戯だろう――その、季節外れの突風は。
真正面から吹きつけるそれに、私は反射的に顔を背けた。
私の先には、目の前に眩しいほどの白い足があらわになっている。
そして、そのやや上方、一瞬映ったソレは――
黒だった。
(やはり、かっ!)
忘れもしない、シャマルが干していた、例のアレだ。
前回からの疑問が、これで解決した。
謎は、全て解かれるためにある。
実に晴れ晴れとした気分でいた私の目に、何やら白銀の物体が見えた。
ガシャン。
「ザフィーラ……見たのか?」
「……い、いや、黒かったとか、そういう事は全く見ていない」
「そうか――これは、私の独り言なのだが」
ガシャン。
「本当に、主はやての気遣いはいつもありがたいと思う。今日も、汗をかくことを見越して、ザフィーラに着替えを託してくれた」
なるほど、私が持ってきたのは着替えだったのか。家に戻ってシャワーを浴びるまでの短い間かもしれないが、それでも汗だくになったら替えたいのは人情だろう。
「時々シャマルと結託した悪戯心が混じっているのも、戸惑いはするが微笑ましいとも思う」
――推測するに、今身につけているものは自分の趣味で買ったものではない、と言っているのだろう。
ガシャン。
「ところで……記憶というものは、強いショックがあると曖昧になるものだそうだ」
ああ、それはありうる話だろう。脳への刺激があれば記憶違いも起きるかもしれないし、仮に瀕死にでもなるような状況になったら、肉体も記憶にエネルギーを使ってはいられまい。
ガシャン。
それにしても――先程から響いているこの不吉な音は何だろ
*
二十分後。
私はいつも通りに主はやての作ってくださった料理を食していた。急須を持ってきたシャマルは、私の額をなでて頷く。
「うん、もうほとんど腫れはひいたわね」
ちなみに、数分前までは、私の額は何かが埋め込まれているのではないかというくらいに盛り上がっていた。原因はレヴァンティンでの一撃。ご丁寧にカートリッジロード付。いくら峰打ちだったとはいえ、あの程度で済んだのは奇跡的だ。
「まだ痛むようでしたら、リインが冷やしましょうか〜?」
(いや、大丈夫だ。気遣いすまぬ)
ふわふわと私の目の前を旋回していたリインは、私の返事ににっこりと微笑む。その後ろで、ヴィータが食卓で慌しく箸を動かしながら、呆れるように口を開いた。
「全く、アホかよ。一刀両断でもするつもりだったのか。ていうか、動物虐待だぞ」
「……すまん。動転していた」
「まあ、結果的には無事で何よりや。二人とも堪忍な」
「はやてが謝ることじゃねーよ。リーダーがみーんな悪い」
ヴィータの言葉にも、シグナムは恐縮するばかりで言い返そうとしない。
(それで……ザフィーラから見たシグナムはどないやった?色っぽかったか?)
(さて……忘れました)
私がとぼけて見せると、主殿は楽しそうにくすくすと笑う。やれやれ……お人が悪い。
シグナムに対しては、忘れたフリをするか否かは迷いどころだ。
今後、殴られないようにするにどうすればいいのかに頭を悩ませながら、私はスープに口をつけた。
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- 2007-05-28
- なのは 短編
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いつか高校への潜入捜査の命令が来たら、爆笑ですかね?