晴れわたる青い空。かなたに浮かぶ柔らかな雲。体に降り注ぐ暖かな日差し。
穏やかな天気のうららかな午後、私ことザフィーラは夕立に降られたかのような重たい渋面で道を歩いていた。
「なんだザフィーラ、景気の悪い面してんじゃねーよ」
前を歩いている朱色の髪をお下げに結った幼い少女が、振り返って上機嫌に笑いながら話しかけてくる。彼女の手にはひもが握られており、その先をたぐると、妙にかわいらしいデザインの皮のバンドにたどり着く。そしてバンドがどこにとめられているのかと言えば、子犬のような姿に変化している私の首なのである。端から見れば、どこからどう見てもペットを連れて散歩する少女としか認識されないだろう。
確認するまでもないことだとは思うが、私は主八神はやての守護騎士である。つまり、今飼い主のような顔をしてにこにことしている目の前の少女、鉄槌の騎士こと守護騎士ヴィータとは、同士であっても主従ではありえない。
まあ、対外的には私は犬にしか見えないので、外出時にペット扱いなのはいいとする。しかし、この後の彼女とのやり取りを想像すると、いまいち気分が乗らないのだった。
ちなみに、そこに到るまでの事情は全くもって深くも重くもない。
事の経緯は、昨日の夜にさかのぼる。テレビのドラマで映っていた、少女が投げたボールを犬がキャッチする姿に、ヴィータは何故かいたく興味を示した。光化学兵器のように輝く(私には本当にそのように見えた)目がこちらを向いたが、私は寝そべったまま彼女の視線を完全無欠に無視する。
その様子を見ていた主はやてが苦笑しながら、「ヴィータ、あれはザフィーラには簡単すぎや。おもろないと思うで」とたしなめる。ああ、主殿。ヴィータを思いやりながらも私の気持ちを察してくださるその御心、染み入ります。
しみじみと感謝をしていると、その横の金髪の女が「でも、今はフリスビーを犬にキャッチさせる競技もあるそうですし、ザフィーラならヒーローかもしれませんね」などと口にするものだから、ヴィータは完全にやる気になってしまった。……シグナム、肩をすくめていないであいつを止めてくれ。
私としてはやる気などひとかけらもなかったのだが、主はやてに両手を合わされては仕方がない。あの御方の心情は察してあまりあるし、仕事以外の用事であまり外出をしない私には、たまにはこういう機会が必要なのかもしれない――
「おうヴィータちゃん、散歩かい?車には気をつけてな」
「ウチのおじいちゃん、ゲートボールまたやろうって、ヴィータちゃんのことばっかり言ってるのよ」
それにしても――驚くべきことだが、ヴィータは随分と近所の人々(特にご年配の方々)に人気があるようだ。道行くご老人は、彼女の顔を見るたびに目じりにしわを寄せて挨拶をする。ヴィータ自身も、随分と素直に礼儀正しく話をしている。その気配り、十分の一でいいから我々にも向けて欲しい。
関心半分、不満半分の複雑な気持ちで彼女の後ろに控えていると、激しく吠える犬の声が聞こえた。
後ろを振り向くと、体長一メートルほどの犬がこちらをにらんでうなっている。どうやら、見慣れない子犬が自分の縄張りに入ったとでも思っているのだろう。もちろん勢力争いなど興味はないので、無視をしても全くかまわないのだが、驚くご老人や慌てる飼い主を放っておくのはあまり気分のいいものではない。
とりあえず軽く吠えてみる。返事はその三倍の威嚇。たしなめようとしたつもりが、かえって相手のやる気に油を注いでしまったようだ。言葉で意思疎通が出来ないというのはまこと不便なものである。
ますます血気盛んに吠えかかる犬を、飼い主の少女は必死に引っ張って止めようとしている。年の頃はエイミィ殿と同程度で、大型犬を腕力で言い聞かせるのは難しそうだ。むぅ……
ギロリ。
目に力を入れて見返すと、その犬はぴくりと尻尾を立てた後、一気にうなだれておとなしくなった。目は口ほどにものを言う、とは、主殿の世界の先人は、言いえて妙な言葉を残したものだ。飼い主の少女は、胸をなでおろした後、ヴィータたちに頭を下げる。
「すみませんでした!驚かせてしまって……キミも、大丈夫?――うん。ワンちゃんも、怪我とかない?」
その言葉にふと頭をあげると、ほぼ真上から心配そうに覗き込む少女と目があう。私に話しかけたのは把握できたが、どう返事をすれば伝わるのかが分からない。極力子犬らしい声で鳴いて尻尾を振ってみせると、彼女は安心したように微笑む。その表情に私の方も気を緩めて、何とはなしにすらりと伸びた足が視線に入る。遅まきながら自分の立っている位置が非常に良くないことに気がついた。
(白……いかんいかん)
首を下げて目をそらすと、柔らかい手が頭の上に降りる。くすぐったさに身震いしそうになるのを、目をつぶって押さえ込んだ。
「じゃあ、私は失礼しますね。本当、すみませんでした」
「いえ。あたしも行きます。行くぞザフィーラ」
ヴィータに首をひっぱられながら、思わずため息をつく。やれやれ……ここにいるのがヴィータで助かった。主殿やシャマルだったら、きっと私の反応を察して、たしなめられるかからかわれるかするに違いない。
鼻歌交じりの少女に連れられること更に五分。公園に辿り着いた私達は、十歩ほどの距離をおいて向かい合った。
「さーて、じゃあ始めるぞ、ザフィーラ!」
やる気満々に大声で言って、ヴィータは右手を突き出してみせる。その手には、手品のようにボールが握られている。無論、その程度の芸当は、驚くには値しない。彼女が持っているのは鉄球であり、つまり戦場での彼女の飛び道具である。何もないところから出したのは種も仕掛けも不思議もない。
ツッコミ所があるとすれば、その鉄球を、何故、今取り出しているのかということだ。
大体、昨日やっていたのは『ほーらとっておいで〜』と投げられたゴムボールを、空中なりワンバウンドなりで犬が取って、飼い主に持っていくような映像だったはずだ。
それに対して、ヴィータは天を突き上げるがごとく振りかぶり、それから体をねじるように半回転させて、あまつさえ足を180度に上げている。
「そーれ……くらえやああああぁぁぁ!!!」
(――あほかあああああああっ!)
銃弾を連想しそうな豪速球に、私は叫びながら飛びつく。ガキッという金属音が歯の奥で鳴って、その衝撃が頭蓋から尻尾まで響く。そのまま数メートルの距離を吹き飛ばされ、私は二回転した後、地面に無理やり爪を立てて着地した。
周りから歓声が上がる。むしろあげるべきなのは悲鳴ではないだろうかと思いつつ、私は冷や汗をかきながらヴィータをにらみつけた。
(何のつもりだヴィータ!誰かに当たりでもしたら、怪我ではすまんぞ!)
「いいぞーザフィーラ。じゃあ、次は二つだ!」
私の念話もどこ吹く風。彼女は無邪気な笑顔で二つの鉄球を手に持った。私は思わず低い姿勢で、球に対応しようと身構える。子犬と幼い女の子が共にいる様はきっと傍目には微笑ましかったろうが、当事者としては全く余裕がなかった。反応が少しでも遅れたり、キャッチのタイミングがずれたりしたら、私か、私の後方の誰かがリインフォースの元に旅立つに違いない。
次々と飛んでくる黒の塊を、私は時には口でくわえ、時には前足ではたき落とした。一度に飛ぶボールは二球、三球と増え、四球になった時、最後の一球を後ろにそらせた。
(――!!)
叫ぶ暇もあればこそ。私は反射的に後ろを振り返る。
既にはるか遠くで何かしらを破壊しているはずのその鉄球は――
まるでシャボン玉のようにふよふよと宙を舞っており、そのうち勢いを失って地面に落ちる。その様子も、まるで重さや硬さを感じさせない、ゴムボールのような跳ね方だった。
(……操れるのなら、始めから、そう言え――)
「惜しいっ、次こそとれよなっ――あ」
一気に脱力してへたりこんだ私の尻尾に、不意打ちで投げられた鉄球がのしかかる。それは確かに普段ヴィータが使っている物騒な代物で、私は我ながら哀れな悲鳴を上げて地面に転がった。
その後のことは、よく覚えていない。というか、あまり思い出したくない。
うっすら頭をよぎるのは、グラーフアイゼンを構えて一本足で立っている彼女の姿。
私は、そもそも何をしにここに来たのだろうか……
時間にすれば十分程度だろうが、野球選手でもやらないような捕球練習をさせられた私は、ヴィータが満足する頃にはぐったりと地面に横たわっていた。ギャラリーも、我々のパフォーマンスが終わったらしいと判断すると、思い思いに散っていく。朱の髪の少女は肩を回しながら口を開いた。
「あー、キャッチボールって面白いな」
野球の特訓をしたいのなら、最初からそう言え……しかも、途中から投げてすらいなかったぞ……いやそれ以前に、人間形態で、そうでなくともせめて本来の獣形態でやらせてくれ……
「ありがとなザフィーラ。すっげえ楽しかった」
ヴィータは私の頭をなでながら、にっこりと微笑む。
この場にいない守護騎士たちが見たら苦笑しそうなほど、裏表のない満面の笑み。
恨み言の台詞を考えていた私は、結局尻尾だけで返事をする。
彼女が、こんな風に笑えるのなら。
外見相応に、無邪気でいられるのなら――まあ、少しは体をはった甲斐もあったかもしれない。
「今度は元の獣形態で散歩しようぜ。あたしを背中に乗せて、町内一周全力疾走だ!」
(やらん!!)
訂正。やはりこいつにはもっと大人になってもらわねばならん。
そう思いながら、夕焼けの道を、私はヴィータに引きずられていった。
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- 2007-05-14
- なのは 短編
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