「――この指輪で、あの子を止めるのね?」
(そうだ。全力で魔力転送を行う。パンクしないよう、自分に移した分は放出を忘れるなよ)
アルマは返事をして通信を切った。
指輪をなぞって、彼女は目を細める。
お揃いの貴金属を、三人で身につけたあの日、クラウスは嬉しそうに笑っていた。
何も知らず、このリングが家族の絆の証なのだと信じていた。
これが、弟を衰弱させる魔の道具にも、逆に助けるための希望の光にもなるなんて――
顔を挙げると、シグナムの真剣な表情が見える。
自分を見捨てておけなかったのだろうか。リンカーコアを失い、飛行魔法どころかデバイスの起動もままならない自分を、わざわざ抱えてクラウスの元へ移動している。
主の決して良いとは言えない状況を把握し、消耗した体をかかえ、それでもなお彼女は凛々しく前を見つめていた。
「――ごめんなさい、シグナムさん。重たいでしょう?」
「いえ」
「あ、そうよね。クラウスよりは軽いだろうし」
アルマの言葉に首を傾げるシグナムを見て、彼女は猫のように目を細めた。
「それとも――普段はあの子に抱えられる側、かしら?」
シグナムは、空中に目を向ける。主に抱かれた自分の姿を想像したのか、彼女の顔が一気に朱に染まった。
「なっ、あ、アルマ殿、そんなお戯れをおっしゃっている場合では――」
「ええ。始めてるわ。ようやくデバイスが反応してくれたところ」
指輪が淡く光り始めている。彼女の魔力の色と同じ、淡い蒼の光。
「それにしても、リンカーコアを抜かれた直後に意識を保てるとは――貴女の強さは、理屈では説明できない」
「あら、何だか化け物か妖怪扱いされてるみたい」
シグナムの感想に冗談めかして答えながらも、彼女は思っていた。
自分が魔力の核を抜かれてなおデバイスを扱えるのは、きっとクラウスやベルンハルトと繋がっているからだと。
彼らが今一度チャンスをくれたのだ。
今度こそは、弟を止めてみせる。
「主、クラウス――」
シグナムの呟きに首を向けると、そこにはシャマルを除いた全員が揃っていた。
クラウスが、冷たい紅の目を、アルマたちに向ける。
「烈火の将――貴殿も、主を阻むというのだな」
それは、平坦ながらも魂を掴むような、恐ろしい響き。
シグナムは、闇の書の主をまっすぐに見つめ、一呼吸おいてはっきりと口にした。
「――はい。恐れながら、主が道をはずしているのに気付いたなら、それを正すのが、臣下の務めです」
「そうか。ならば仕方があるまい」
彼は、黒い翼を揺らめかせる。魔力を吸収されているにもかかわらず、更に魔力を行使する。
「闇に、沈め」
おびただしい数の短剣が空間を支配し、緋色の嵐となって全員に吹き荒れる。
シグナムは必死に障壁で身を守るが、防ぎきることが出来ずに、彼女の肩と足を刃がかすめて、魔力の爆発で焼け焦げる。アルマの足にもナイフが貫通し、爆散してはいないが、既に感覚がなかった。
「シグナムさん、私を降ろして!貴女だけなら耐えられます」
「ですが、騎士甲冑をまとうだけの魔力が生成できない貴女は耐えられない。覚醒した闇の書の魔法は強大無比です。多少距離を置いた程度では、影響を軽減できても零にすることはできないでしょう」
先程のナイフに傷つけられ、シグナムの片腕はだらりと下がっている。折角の愛剣も、指に引っ掛けて持っているという感じだった。
それでも彼女は、毅然とした声でアルマに話しかける。
「ご安心を。私は貴女の盾になります。私の誇りと、この剣にかけて、必ず貴女を守ります。ですから――どうか、主クラウスを、お願いします」
その言葉に、アルマは一瞬で決意を固めた。
「ええ。貴女の代わりに剣となって、あの子の心を守って見せる」
彼女は、右手に更に意識を集中させる。
蒼の輝きは更に強くなり、彼女たちを照らす。
「クラウス――!お願い、目を覚まして!」
アルマは、残り少ない魔力で指輪を制御しながら叫んだ。
リンカーコアを抜かれ、核があやふやな状態では、流れ込む膨大な魔力も糧にはできず、むしろ体にとって害毒だ。一秒ごとに、体と心がきしむ。
それでも、続けなければいけない。
自分は、そのために――
家族の笑顔を守るために、騎士になったのだから。
姉の想いは指輪と同調し、弟の指輪を輝かせている。
ベルンハルトと合わせての、二重の魔力転送。
それにもかかわらず、クラウスは周囲をにらみ、なおも力を放出する。
その波動に、動く片手でアルマを抱いていたシグナムはよろめいた。
「まずい――!皆、離れろ!!」
「――闇に、染まれ」
シグナムの声に反応して距離をとった守護騎士やベルンハルトたちを捕らえるように、闇が覆う。
主を中心とした、球形の牢獄。その中を、濃密度の魔力が駆け巡った。
それは烈火の将の想いごと障壁を破壊し、彼女たちを痛めつける。
アルマたちの悲鳴は、不気味な鼓動にすいこまれ、消えていく。
牢獄が崩れたときには、アルマとシグナムは地に横たわっていた。
「あ……ア……」
アルマは呻きながら、宙にいる弟を見上げる。
取り戻すんだ。
あの子の、笑顔を――
震える右手を、上空にかざす。
小指にはめられたリングが割れ、アルマの頬ではね、地面に転がった。
*
ヴィータは、多大な魔力を奪われながらもクラウスと向かい合っていた。ベルンハルトも、肩で息をしながらもかろうじて宙に浮いている。
ザフィーラは、先程の攻撃魔法の直撃を受けて撃墜されている。彼がかばってくれたおかげで、彼女たちは満身創痍ながらもその場に踏みとどまっていられた。
「甘く見ていたつもりは、なかったが――」
ベルンハルトのかすれた声が、ヴィータの耳に届く。ちらりと振り返ると、彼の右手は黒く変色しており、まともな状態にはとても見えなかった。
「すまない、ヴィータ嬢。デバイスを壊された。私たちの魔力も今ので一気に削られている。――打ち止めだ」
あるいは、彼はヴィータに「早く逃げろ」とでも言いたかったのかもしれない。それとも、単純に「悪いが諦めろ」という意味だったのだろうか。
どちらにしろ、彼女はベルンハルトの台詞をろくに聞いてはいなかった。
ふらふらと、主に向かって進んでいく。方向が上手く定まらないが、気にしない。
「グラーフアイゼン、待機モード」
『――Ja』
鉄槌が、ペンダントになって彼女の首にかけられる。騎士甲冑も解け、防御力も皆無。全ての魔力を飛行に使わなければ、高度を維持できないほどに消耗している。
それでも、彼女は前進をやめない。
クラウスの目の前に辿り着いた途端、彼女は黒き甲冑の手に胸ぐらをつかまれ、目の前に吊り上げられた。
「闇の書の守護騎士ならば、最後まで見届けよ。私に従え」
「あたしは――」
クラウスの手に、滴が落ちる。
「あたしは、クラウスの守護騎士だ!」
怒鳴った拍子に、彼女の目から、ぽろぽろと涙が流れる。
悔しかった。
何も出来ない、自分が。
闇の書のプログラム――つまり自分たちが、主の夢を、こんな形で汚してしまったことが。
「聞こえてるんだろーが……お前にやられて、泣いてる奴らの声が。見えてんだろ?お前がやっちまった悪人とやらの家族が泣くところが!」
わめきながら、ヴィータは泣きじゃくる。クラウスは無感動に、その瞳を眺めている。
「お前が一番嫌いなことだったんじゃねーか……どうして自分の嫌なことするんだよ……戻ってくれよぉ…………」
「――やむをえんな。私の中で眠れ」
クラウスは、左手でヴィータを掴んだまま、右手に魔力を込める。
甲冑のない状態で殴られれば、跡形も残らないだろう。
ヴィータは、それでも自らの主を見つめる。
しゃくりあげながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、クラウスを、見る。
こぶしを振り上げたその瞬間、火花の散る音がして、彼の魔力が途切れた。主は目を細めて小さく息を吐く。
「魔力を一度に使いすぎ――」
『侵入、成功』
奇妙な音声がクラウスの声に被り、彼の全身を電撃が走る。彼は反射でのけぞって、ヴィータを放す。彼女は反射的にクラウスの首につかまった。
一体何が起こったのかわからずに目を瞬かせる。
黒の甲冑が、今度はそっとヴィータの肩を抱いた。
「――ごめん、ヴィータ。君まで泣かせてしまって」
聞きなれた、穏やかな声。
恐る恐る顔を向ける。
そこには、ヴィータを見つめる、優しい紅の瞳があった。
「あ――」
見間違えるはずがない。
他の誰でもない、彼の笑顔。
そうだと理解した途端に、あれほど見たかった主の顔が、自分の涙で一気に曇った。
「うぁ……ぁぁあああん!」
力いっぱいに彼を抱きしめると、クラウスも答えるように、彼女の細い体を両の腕で包んだ。
「ヴィータの声、それに皆の声も、ずっと聞こえてたよ。だから、戻ってこられた。ありがとう」
「クラウス、クラウスっ!」
父親を見つけた迷子のように、ヴィータはただ泣きながらクラウスにしがみつく。彼女の頭越しに、ベルンハルトの声が投げかけられた。
「――全く。お前は手のかかる弟だ」
「うん――本当だね。ありがとう、兄さん。――それとごめん、これからも迷惑をかける。もう、時間がないんだ」
穏やかな顔を一転、真剣な表情で、クラウスは手短に説明をする。
闇の書の魔力が一度に激しく減少したために、闇の書の制御システムに穴が生じたこと。
その一瞬をついて、正常な意識を保っていた自分の一部が、闇の書に残された暴走していないプログラムを利用して、クラウスの体を支配していた防御システムの一部に侵入しようとしたこと。そしてそれが成功したおかげで、こうして話ができるようになったこと。
「だから、今すごく無理をしてる。主導権を握ってるといっても出来ることはかなり限られてるし、防御システムが――今はもうただ周りを破壊するだけの呪われたプログラムだけど――本来の機能を取り戻したら、もう僕は、戻ってこられない」
「そ、んな――嘘だろ――」
ヴィータの声が、虚しく響く。ベルンハルトは、難しい顔であごをなでながらクラウスを見た。
「……それで、どうするつもりだ」
「――僕ごと、闇の書を破壊する。きっとまた転生しちゃうだろうけど、ここでの無差別破壊は避けられるから」
あっさりとした返答。
心臓が、不規則に鼓動する。
確かに、クラウスが制御している今の状態なら――防御する意思のない闇の書なら、自らの魔法で、一時的にせよ機能停止に追い込めるかもしれない。
しかしそれは、ヴォルケンリッターの停止と――
そして何より、当然ながらクラウスの死を、意味する。
言葉の出てこないヴィータの後ろで、ベルンハルトは口を開いた。
「貴様、裏切るつもりか」
たったそれだけの、短い台詞。
それに対する返答は、やはりわずかな言葉。
「――それだけの理由を、見つけたんだ」
クラウスの静かな言葉に、兄は眉をしかめて眼を閉じる。
怒鳴りつけるのかヴィータは思ったが、彼はゆっくりとまぶたを開け、弟に向かってにやりと笑ってみせた。
「ならば――せめて、胸を張って逝け」
ヴィータはその言葉に目をむく。
二言三言のやりとりで、彼らは何を分かり合っているのか。
自分には到底納得できない。
「何、言ってんだ……!」
かすれた声で抗議するヴィータに答えず、彼は目を閉じて魔法を詠唱した。
「リンカーコア、送還。守護騎士シャマル、再起動」
光の雪が集い、人の形をとる。数秒後、緑の甲冑を着た金髪の女性が現れ、その瞳を主に向けた。
「クラウス、様――」
彼女の呟きに、安心したように微笑みを返して、クラウスは周囲を見渡す。
「皆、聞こえてるかな?ごめん、最後のお願い。闇の書がいなくなってから、君たちがどれだけ活動できるかは分からないけど――後のことを、よろしく頼む」
曖昧な、五秒にも足らない、短い命令。
しかし、ヴィータたちにはそれで十分だ。
クラウスのやりたいことは、何よりヴォルケンリッターが良く理解しているつもりである。
が、分かることと納得できることは、別問題だ。
「いやだ――嫌だ!何でお前が死ななくちゃならねーんだよ!」
「分かって欲しいな、ヴィータ。僕も、もちろん死にたくなんてないよ。だけど……」
今、こうすれば皆の悲しみを増やさなくても済む。彼は、淡い微笑と共にそう言った。
理解はしていた。
遠からず失われる心なら、せめて周りを巻き込まないのが最善だということは。
何より、自分たちの気持ちを、十分に汲んでくれて、それでも選んだ彼を、止められないことは。
「分かってる、分かってるよそんなこと!でも――クラウスがいなくなるのは、あたしたちが――あたしが嫌なんだ!」
どうにもならない想いを、ヴィータが吐露する。
それは、ただの我がままなのかもしれない。
クラウスの決意を鈍らせるだけの、ダダをこねているだけなのかもしれない。
だが、それがどうしたと思う。
それだけ自分は、自らの主が大切で、大好きなのだ。
「うん――ありがと。君たちに出会えて、本当に良かった。大丈夫、闇の書は歴代の主の記憶を糧にしていくんだから。ずっと――ずっと、そばにいるよ」
クラウスは、ヴィータの頬を指でなぞって涙をぬぐう。それから、彼は兄に向かって口を開いた。
「兄さん、姉さんも。二人がいたから、僕は、最後まで僕でいられた」
ベルンハルトは、無言で頷く。アルマの声もクラウスには届いたようで、彼は地面に向かって頷いてみせる。
小さく、ため息。
思い出を反芻するように、彼はまぶたを閉じて、かすかに上を向く。
数秒の沈黙の後、彼はゆっくりと目を開けた。
「じゃあね、皆。本当にありがとう――」
また――いつか、どこかで。
ヴィータの手から、温もりがすり抜ける。
クラウスは、とびきりの笑顔を残して、転移魔法の光と共に、虚空に消えた。
「あ――あああ―――!!!」
声にならない叫びが、空にこだまする。
シャマルがヴィータの肩を抱き、静かに体を奮わせる。
ベルンハルトの感慨を込めた呟きが、天を仰ぐ。
アルマの悲痛な喘ぎが、木々を揺らがせる。
ザフィーラの無念の思いが、宙を漂う。
シグナムの、無言の咆哮が空気を伝う。
それらの想いは、遠く、遠く広がって、露と消えていった。
次回予告
そこは、何も存在しない異世界。
主クラウスは、全力をもって、最後の魔法を詠唱する。
私は、自分でもどうにもならない闇の力が憎い。
これからも、私は守護騎士たちと共に、過ちを繰り返すのだろうか。
第8話 君に祝福を
宜しく、お願いします。<
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