巨大化したグラーフアイゼンを構え、今にもベルンハルトに殴りかかろうとしていたヴィータは、弾ける魔力の波で我に返った。
「シャ……マル――?」
一瞬だけ大きく波打った、金髪の守護騎士の気配を探る。
先程まできちんと感じられたはずのそれは、今はどこにもない。
代わりにあるのは、巨大な、黒い魔力。
その鼓動に呼応するように、自らの心臓が大きく跳ねた。
「これは――クラウスが目覚めたか。アルマ、アルマ聞こえるか?」
念話を試みていたベルンハルトは、しばらくして舌打ちをし、鋭い目つきで遠方をにらむ。目の前の守護騎士のことなど意に介していないかのようだ。もっとも、ヴィータたちにとってもそれは同様で、頭の中は自分達の仲間と主のことでいっぱいになっていた。
「クラウス――」
呟いた後、彼女は動き出す。同時にザフィーラとベルンハルトも、今までのことはなかったかのように移動を開始する。
黒くよどんだ空に、かすかに差す光が、目に痛い。
第7話 願い叶う時 クラウスは、目を開ける。いつもの見慣れた天井。周囲には、誰もいない。
一人、だった。
彼の頭上で、闇の書が光る。
「……そうだね。君がいてくれたっけ」
腕を伸ばすと、闇の書はそれが当然のようにクラウスの手に収まる。
その鼓動を感じながら、彼は唇をかんだ。
「シャマル――」
また、自分は犠牲を生んだ。望むもののために、そばにあったはずの大切なものを失った。
胸が、痛む。
終わらせなければならない。
悲しいことも辛いことも、もうたくさんだ。
嘆きも、苦痛も、怨嗟も、すべて――
自分が一つ残らず。
消シサッテヤル。
クラウスは、上空へ転移する。
全く出来なかったはずの魔法を、彼は呼吸をするかのような自然さで扱えるようになっていた。
闇の書が黒い光を放ち、主を包みこむ。
光が消えた後に現れたのは、堕天使を思わせる禍々しい翼を持つ、闇色の騎士甲冑。
なびくのは、何かに染まるのを拒むかのような銀髪。
その瞳は、血よりも深く、濃い紅。
彼の顔は凍りついたかのような無表情で、知らぬものが見たらクラウスだとは分からなかったかもしれない。
熱のこもらない目で周囲を見渡し、彼は無造作に左手を振る。
はるか遠方で起こっている戦の上空に、血の色をした刃が現れ、騎士たちのデバイスを打ちぬく。
右手を突き出したその方向では、賊が今にも女子供を襲おうとしている。虚空から呼び出されたナイフは、賊をためらいもなく貫通し、爆散した。
黒の騎士は、掃除でもしているかのような気軽さで両の手を躍らせる。
その度に、
ベルカの各地で刃が折られ、
デバイスが散り、
城が崩壊し、
人が倒れた。
「まだだ――」
クラウスは眉をしかめる。
耳に入る、嘆きの叫び。目に映る悲しみの涙。
どうすれば――止められる?
今のままでは駄目だ。全然足りない。
アレは良くない。
コレも壊せ。
ソレも消さなければ。
どれもこれも誰も彼もナニモカモ全部ゼンブ皆皆みんなみんなミンナミンナミンナミンナ――
*
美しいのに寒気のするような白銀の髪。見るものの熱を奪い取るような赤の眼。
ザフィーラたちがその場にたどり着いた時にたたずんでいたのは、よく知っているはずの面影の別人だった。
目の前の人物は、ザフィーラたちのことを視界にも入れず、両の手を動かす。
次々と膨大な魔力が飛び、まるで空間が歪んでいるように見えた。
「あるじ、殿――」
その、つまったようなうなり声は、自分のものだったのだろうか。
怖気のする、この光景に、彼には見覚えがあった。
クラウスの元に来てからちらついたこともない記憶が、唐突に脳裏をよぎる。
美しき女領主。
気高き騎士。
肥えた貴族。
やつれた平民。
老若男女、様々な顔。
あるものは、蒐集をせずに侵食された。
あるものは、蒐集の完了の前に倒れた。
残りの大部分は、蒐集を終え、真の主となった。
そして一人残らず――
闇の書のプログラムの前に、狂気にかられ、何もかもを壊し。
そして、自らも崩壊した。
*
シグナムは、闇の書の魔力が発動しているのを感じながら、呆然と立っていた。
「私たちは、何をしていたのだ……」
呟いた言葉が、自分の体内に虚ろに響く。
何故、今まで思い出せなかったのか。
自分たちは、一体どれほどの数、同じ過ちを繰り返してきたのか。
主のためと思い、他人を踏みつけ、時には自分を殺し、行ってきた蒐集活動。
その結果。
自分たちは仕えるべき相手を全員、死に追いやってきた。
その終焉が、今の光景だ。
天を覆う分厚い雲と、隙間から穏やかに差し込む日の光が、なぜかこの場にふさわしい気がした。
「私は、何と名乗ってきた?何を誇りに、剣を握ってきたのだ。すべては――主を守るためではなかったのか!」
彼女は自らのこぶしを地面に叩きつける。むき出しの手から血がにじみ、かみ締めた唇のからも鉄の味がした。
クラウスには笑っていて欲しかった。
そのためには、誇りだろうと命だろうと、自他問わず、どんな代償だって惜しくないつもりだった。
なのに、自分は。
その、最も望んだものを、良かれと思って自ら壊していた。
レヴァンティンがシグナムの手から転がる。彼女の愛剣は、渇いた音を立てて地面に横たわった。
「すまん、レヴァンティン。私は――」
自らの矜持を、誇りを失った自分には、炎の魔剣は重すぎる。
支えを失った心の弱さが、更に彼女を痛めつけた。
レヴァンティンは、いつもの音声で、シグナムに答える。
『Nein. Wählen Sie Aktion』
行動の、選択を。
今までとまるで変わらぬ調子で、炎の魔剣はその持ち主に判断を要求した。
「今更、何を――主クラウスはもう……」
そこまで口にして、彼女は地面を掴む。羞恥で全身が熱くなった。
自分は、何を言おうとしたのか。
主は生きている。闇の書と一体となりながら、きちんと存在している。
まだ、守護騎士の任務は全く終わっていない――!
「ありがとう――ふがいない私に、今一度力を貸してくれるか、レヴァンティン」
『Ja』
彼女は愛剣を握り締めて立ち上がり、主から賜った騎士甲冑を身にまとう。
傍らに横たわったままのアルマを担ぎ、彼女は飛び立った。
*
ベルンハルト・アルベンハイムは、暗黒の騎士甲冑を着た弟の姿に眉をしかめた。
覚悟は決めていたはずだった。
あの時。
母を失ったあの日、血の海の中でうずくまるクラウスと、宙に浮く闇の書を見て。
そして、家族の誰よりも綺麗だった翡翠の瞳が紅に染まっているのを見て。
闇の書と呼ばれ、恐れられるデバイス。調べるほどに八方ふさがりになっていく絶望感は、今でもはっきりと思い出せる。
避けられない崩壊。
ベルンハルトは領主として、兄として、いざとなれば弟を切り捨てる準備を怠らなかった。
アルマは、そんな兄を非難した。どんなときにでもそばにいるのが家族なのではないかと。
彼は答えた。クラウスならば、他人を犠牲にすることよりも、自らの命を絶つことを望むだろうと。
無論、詭弁だった。彼は、様々なものをいつでも天秤にかけている。クラウスが幸せに生きるに越したことはない。だが、強者から魔力を奪う蒐集はかろうじて見逃せても、無差別に他人に害なす悪魔になったら、それを討つのに迷いはない。弟と、民衆――ひいては自分を含むアルベンハイム家、比べたら重いのは後者。それだけのことだ。
それでも、クラウスの強さが奇跡を起こすことを、どこかで期待していた。
しかし――ここまで来てしまっては、もう引き返せない。
ベルンハルトの前で、ヴィータが体を震わせながら、激しく首を横に振った。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!クラウスが、こんなことをするわけがねぇ!本当にこれがお前のしたかったことなのかよ!?答えろクラウス!」
クラウスは無感動に彼女を見て、唇を開く。
「紅の鉄騎か――この世から、悲しみを、嘆きを取り除く。主の望み通りだ」
絶句するヴィータに、ベルンハルトは諦めのため息と共に語りかけた。
「認めろ、ヴィータ嬢。アレはもう、私たちの知っているクラウスではない」
アルベンハイムの領主は、右手を掲げる。リングが光を放ち始めた。共鳴するように、クラウスの右手も光り始める。
「――残念だ、クラウス」
ベルンハルトは、デバイスの制御に意識を集中させる。
光が、際限なく強くなっていく。
本来の使い方とは違う、常人ならば数秒で吸い尽くされる、魔の能力。
「何するんだ!やめろ、やめろよ!」
しがみつくヴィータを振り払わずに、ベルンハルトは口を開いた。
「闇の書は、完成後に魔力を使い果たしたら、別の所有者を探して転生する。先例がないゆえ、実際にどうなるかは分からないが、クラウスの肉体と精神が完全に崩壊する前に魔力がゼロになれば、あるいは――」
「あるいは、助かるかもしれん……!」
ザフィーラが驚愕の声で、領主の言葉の後を継ぐ。ヴィータが目を見開いた。
ベルンハルトは、もちろんクラウスが元に戻るという虫のいい話を期待しているわけではない。
しかし、手段を選べるのなら、可能性がある方が良い。
魔力の流れが、目に見えそうなほどの密度になり、弟から兄へと流れていく。
クラウスは慌てる様子もなく、掌を静かにベルンハルトに向けた。
「刃もて、血に染めよ――」
黒の甲冑の周辺に、数十本の短剣が現れる。
次の瞬間、それらは血の色の魔力を帯びて、ベルンハルトに向かう光と化す。
ヴィータとザフィーラが、ベルンハルトの前で障壁を展開し、彼を守った。
「君たち――」
驚く兄には目を向けず、闇の書の主は淡々とヴォルケンリッターに話しかける。
「邪魔をするな、紅の鉄騎、それに盾の守護獣よ。主に歯向かうというのか」
「違う!」
守護騎士たちは同時に叫び、ヴィータが続けて口を開いた。
「あいつは、確かに悲しみをなくたかった。ああ、そうだろうさ。だけどな、こんな方法でなんて、絶対に望んじゃいねぇ!もっと、皆が笑っていられるような方法を探してたはずなんだ!待ってろよクラウス、かならず……必ず元に戻してやる!」
古代の遺産という圧倒的な兵器と向かい合っているにも関わらず、ベルンハルトはかすかに唇を緩めた。
(全く、お前はいい友人を持ったな)
気を引き締めなおし、彼は念話で、妹に怒号まじりに語りかけた。
「アルマ……アルマ!目を覚ませ!弟が苦しんでいる時に寝ている場合か!貴様、何のために騎士を志したのだ!」
その言葉が聞こえたのか、あるいは彼女自身の驚異的な回復力か、それとも別の原因か。
アルマは、兄の叫びに返事をした。
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