「――のやろう」
ヴィータは汗をぬぐいながら、目の前の男をにらみつける。ベルンハルトは、大振りの槍を悠然と構えて、その場にたたずんでいた。
「次はこちらの番か。行くぞ」
言葉の直後に、彼は一気にヴィータに詰め寄り、槍を振り回す。刃先を紙一重でかわすが、その槍が帯びる電撃が彼女を襲う。魔法障壁を展開している間に二撃目が鉄槌の騎士を狙い、彼女は槌を立てて防御する。重量のあるその攻撃に、軽量の彼女は吹き飛ばされた。
その攻防の横から、ザフィーラがアルベンハイムの領主に向かってこぶしを振りかぶる。しかし、近づいたところでヴィータと同様に電撃にさらされる。それでも放った鉄拳は、既に体制を整えていた相手にしっかりと受け止められ、返す刃に彼も後退した。
戦い始めて数分。ヴィータとザフィーラは、ベルンハルトの攻撃に慣れないでいた。
槍と斧が混じったような形をした大型の武器は、剣よりは単調で、攻撃が読みやすい。
だが、想像以上の腕力で繰り出されるその刃は、分かっていても避けづらく、受け止めるのも困難。
更に、槍にこめられた魔力が電撃となってかわした相手まで捕らえるため、反撃もしづらい。
一方のベルンハルトは、ヴィータたちの攻撃を逐一丁寧にさばき、槍を振るってくる。一対多の戦いにも慣れているようで、波状攻撃にも全く動じる様子がなかった。
ヴィータは舌打ちをしながら、グラーフアイゼンに魔力をこめる。ハンマーの先が形状を変え、橙の光が噴出した。
「これなら、どうだっ!!」
弾丸のように突進し、ベルンハルトに槌を振りかぶる。彼は同様にカートリッジによって魔力を充填し、防御するのではなく、彼女を迎え撃った。
「はぁっ!!」
激しい金属音と共に、火花が飛び散る。
力比べをするように競り合った後、二人は逆方向に弾かれる。
ベルンハルトが体勢を整える前に、地面から伸びた鎖が彼を拘束した。
「ヴィータ、いけるか!?もう一度だ!」
ザフィーラの声に、ヴィータは再度カートリッジを使用し、ベルンハルトに迫る。
振り下ろされるハンマーを、男は障壁で受け止める。
数秒後には大半のバリアを打ち砕くはずの、グラーフアイゼンの一撃。
それが、ベルンハルトの目の前で、ぴたりと止まっている。
その感触に、ヴィータは覚えがあった。
「てめぇ――」
男は障壁で時間を稼いでいる間に、転移魔法を唱え、拘束から逃れる。ザフィーラの鎖から逃れるという芸当も、生半可な魔力でできるものではない。
「クラウスの魔力を、使ったな!?」
ヴィータの詰問に、ベルンハルトは淡々と答える。
「アレが闇の書を扱えるようになるまでは、極力避けるつもりでいたがね。君らは強い。自分と弟、天秤にかけるのなら、私は自らの命を選ぶ」
あげられた右手の小指が、淡く光を放っている。
今この瞬間も、クラウスから魔力が奪われている。
あと一度侵食が始まったら、主は助からないかもしれない――
彼の柔らかな笑顔が、穏やかな声が、包み込むようなぬくもりが、ヴィータの脳裏をよぎり、弾ける。
「それでも、あいつの兄貴かよっ!」
許せない。
普段は保護者面しておきながら、クラウスの命を駒か何かのように見限るのが許せない。
彼の魔力資質を利用して、道具のように扱うのが許せない。
その翡翠の瞳も、はちみつ色の髪も、端正な顔も、余裕ぶった態度も――
何モカモ、許セナイ。
「グラーフアイゼン!」
『Ja――Gigantform』
カートリッジロードの音が響き、ヴィータの鉄槌が形を変える。
柄が伸び、先端が膨れ上がる。ヘッドの部分は彼女自身のサイズになり、その後も更に大きくなっていく。
「ヴィータ、落ち着け!」
ザフィーラの声も、今の彼女には届かない。
ヴィータの質量を何倍も上回っているであろうグラーフアイゼンを、彼女は重力を無視するかのように軽々と持ち上げる。
「ぶっ潰す!」
鉄槌の騎士は、彼女の二倍もありそうな大きさの槌を構えて叫んだ。
*
「――ス、主クラウス――」
誰かが、自分を呼んでいる。涼やかな声。しかし切羽詰ったような口調。
起こされるという経験は久しぶりだと思いながら、クラウスは目を開ける。彼の顔を覗き込んでいた銀髪の少女が、安堵の表情を浮かべた。
「良かった。アクセスできました」
「闇の書――ええと、僕は……」
彼女の整った顔をぼんやりと眺めながら、彼は今の状況を思い出そうとする。
確か、アルマと話して、意見の食い違いで喧嘩するように別れて、それから――
「貴方は、気絶なされて、寝室に伏せっていらっしゃいます」
「そうか……また、か。それは、ヴォルケンリッターにも心配をかけてるね」
「その、守護騎士らのことなのですが――」
闇の書は、一瞬ためらうそぶりを見せたが、すぐに無表情になって現在の状況を話した。
守護騎士たちが、主の兄や姉と戦っているという事実。考えてみれば十分にありうる事態だった。アルマは軍人であり、ヴォルケンリッターが各地で騎士の魔力の源を奪っているのを聞けば、黙ってはいられないだろう。その可能性を考慮していなかったクラウスは、自らの考えのいたらなさに歯噛みした。
「どうして気付かなかったんだろう……姉さんについては、皆に話しておかなきゃいけなかったのに。でも、どうして兄さんとまで」
「それは、貴方のためです」
「僕の、ため?」
首を傾げるクラウスに、闇の書は淡々と説明をする。彼がつけている指輪型デバイスのこと。それによって彼が魔力を激しく消耗していること。そして――
「主クラウス、貴方は闇の書の侵食を急激に受けました。もう少し酷ければ、飲み込まれかねないほどに」
彼女は、赤の瞳を周りに向ける。つられるようにクラウスも、周囲の闇に目を向けた。
彼の周囲は、以前彼が見たものと変わらない。しかし、その闇を更に囲むように、もう一つの、闇のようなモノがうごめいている。
それは、闇よりも暗く、深く、禍々しい。
一切光を通していないかのように先を見通せない黒の空間は、しかし不気味に鼓動しているように感じた。
「今、私たちを囲んでいるモノ、これが、侵食の正体です」
「そう、なんだ――これは、闇の書ではないの?」
「いえ、確かに一部ではあります。これは、闇の書の、闇。歴代の主と、私の――ソシテ、貴方ノ、闇」
自分の、闇。
無意識にそう呟いていたクラウスに、少女が頷く。
薄紅色の唇が、機械的な音を、冷たく紡ぐ。
「ソウ――貴方ガ潜マセテイルモノ。貴方ガ、闇ノ書ノ力ヲ、求メル理由」
彼女の言っていることが、分からない。
なのに、酷く心をかきむしられる。
冷や汗がにじんでいる気がして、クラウスは掌を握り締めた。
自分が、何を持っているというのか。
見ているだけで恐ろしくなる、おどろおどろしい空間の中に、何を隠しているというのだろう――
その、うごめくモノに、クラウスは手を伸ばす。
その動作に、少女がびくりと反応し、あえぐような苦しげな声で言葉を搾り出した。
「触れては、いけません。今接触したら、貴方は飲まれてしまう――」
彼は、闇の書の制止を無視して、ソレに近づいていく。
少女が動こうとするが、黒い闇が彼女を体内に取り込むかのようにまとわりついて拘束した。
クラウスの指先が、境界を越える。
その刹那、彼は始まりの日に戻っていた。
辺りに転がる、人。
むせ返るような血の臭い。
男たちの、粗野な笑い。
「お願い――この子、だけは――」
「ああ、安心しなって母さんよぉ。アンタもガキも、俺たちがいいところに連れてってやるからなぁ」
「すぐにイけるから、全然恐くなんてないぜぇ」
そこで、また笑い声。
聞いたこともないその感情が、怖くて、恐ろしくて、クラウスは母に抱きつきながら目を強くつむった。
母が、彼を抱えたまま立ち上がる。稚児と言えない程度には成長しているクラウスを軽々と抱き上げたのは、彼女の想いの強さがなせる業だったのかもしれない。
「おおっとぉ!」
鈍い、音。
クラウスは、母と共に地面に投げ出される。
ぽたり。
頬に落ちる、生暖かい滴。
母が体を起こして、その時にまた鈍い音。
ぽたり。
額に、ぬるりとした感触。
「かあ、さん――」
見上げた彼の目に、血にぬれた母の顔が映る。
荒い息で、うつろな瞳で、それでもなお、我が子を見つめて微笑む。
「クラウス――どうか――」
そのまま糸が切れた人形のように、クラウスに持たれかかった。
「あ――」
吐息が漏れた。
母を、助けなければ。
「あーあ、やっちまった。まだ生きてるかなぁ?もう少し楽しんでもよかったんじゃねぇ?」
「馬鹿野郎、下手に抵抗でもされたら面倒だろうが。こいつらの服、間違いなく貴族様だぜ?教育行き届いてるお方に、まかり間違ってデバイスなんぞ使われた日にゃ、怪我しちまうだろうが」
おどけたような声。湧き上がる笑い。
何を言っているのだろう、とクラウスは思った。
母が死にそうな時に、この輩たちは、悠長に笑っている。
そもそも。
これは、誰のせいだ。
母をこんなにしたのは、誰だ。
「――も」
憎い。
母を傷つけた賊が。
それをなんとも思わない心根が。
そして、何も出来ない自分が。
「ヨクモ――」
出来ない?否、そんなことはないはずだ。
自分には出来る。その方法も分かる。
そう。
タダ、目ノ前ニアル、アノ黒イモノヲ掴メバイイ。
「カアサンヲ、キズツケタナ――!!!!!」
喉が、震える。
獣のような咆哮が、周囲をゆるがせる。
虚空から現れた緋色の刃が、一人の男の胸を貫き、爆発する。
「――あ?」
呆然としたその男に、幾条もの赤の光が差し込み、花火のような音を立てた。
赤の刃は、さらに雨のように周囲に降り注ぐ。
巻き上がる悲鳴。
はねる、緋色の滴。
視界が、紅に、染まる。
そのまとわりつく感触も、むせ返りそうな臭いも、何もかもをかき消すように。
ただ――叫ぶ。
いつまでそうしていたのか、クラウスが咳き込んで、朦朧とする意識の中で見たのは、ただの血の池だった。
十以上もあった人影はどこにもない。
自分の他には、誰もいない。
ダレモ――イナイ。
「カア、さん?」
クラウスは、地面に手をつける。
ぴちゃり。
何も、ない。
そこにいたはずの、在ったはずの、彼女が、いない。
*
「あ、ああ、あアアァァア……!」
唐突に苦しみ、暴れだすクラウスを、シャマルは慌てて抑えた。
しばらくしておとなしくなるものの、冷や汗が流れ、体が高熱を発している。同時に乱れる、魔力の波。
幾度か経験したことのある、そして彼女たちがもっとも恐れる、主の症状だった。
「侵食が、また――」
本来は、リンカーコアの蒐集がない場合にその代わりとして主の体を蝕むものなのに、クラウスの場合は蒐集とは何か別の原因で起こっていた。
眉をしかめながら目を閉じ、必死に頭をめぐらせる。自分は、この時にどうしたらいいのか。どうすれば、主を救えるのか。
数秒して、彼女は顔を覆った。
「駄目――思いつかない」
自分のふがいなさに、涙がにじむ。
主の命を守れないで、何が守護騎士か。まして、自分は主の最もそばにいたというのに。
出会った時の顔。闇の書のプログラムである自分たちを、彼はすんなりと受け入れてくれた。
甲冑や、服を用意てくれた時の顔。シグナムやヴィータの反応が微笑ましくて、自分はとても嬉しくて、それを純粋に喜んでくれた。
野草摘みの時の顔。無邪気に目を輝かせる彼が新鮮だった。
シャマルの淹れた紅茶を飲んでいる時の顔。心を許しているのか、くつろいでいる主の姿に、自分も安心した。
主のことで思い出すことは、彼の笑顔ばかり。
なのに――よりによって彼が辛いときに、自分は何もしてあげられない。
闇の書が、光って宙に浮いている。その魔力の波でシャマルは我に返った。
アルマのデバイスの波長が感じられない。シグナムが勝ったのだろうか。闇の書を見ると、ページがほとんど埋まっている。
627ページ。
残りは、自分たちと同ランクの騎士の魔力、一人分。
ヒトリブン。
頭をよぎったその考えを捕まえた時、彼女は迷わなかった。
口元を引き締め、自らの指輪のデバイス、クラールヴィントを指でなぞる。
出会ったばかりの頃、世話を焼いてもらってばかりで恐縮するシャマルたちに、クラウスは笑って答えたものだ。
ごめんではなく、ありがとうと言ってくれるなら、それで十分だと。その気持ちは、いずれ誰かに伝えてくれたら嬉しいと。
主への恩、別の相手に何かをすることで報いるのもいいだろう。
しかし何より今こそが、彼への気持ちを伝えるときだ。
(シャマル、どうした?ヴィータ、ザフィーラも、そこにいるのだろう?)
(シグナム――ごめんなさい。主様と、皆を宜しくお願い)
遠隔通話で話しかけてくるシグナムの声に、彼女は答える。
(シャマル、どういうこと――)
守護騎士の将の声を、途中で遮断した。
荒い息を繰り返すクラウスの指輪が淡く光り始める。その拍子に、彼のうめきの声も大きくなった。
ヴィータたちの戦いが激化しているのだろうか。もう――時間がない。
シャマルは主の手をとって、息を溜め込むように一度間をおいた後、唇を開いた。
「クラウス様。私、本当に幸せでした。きっと……きっと、こんな気持ちになれたの、初めてです」
主の前髪をかき、額に顔を寄せる。
優しく、いたわるような口づけ。
恋人のように、あるいは家族のように――
万感の、想いを込めて。
彼の呼吸が、少しだけ穏やかになった気がした。
彼女はそっと顔をあげ、宙に浮いている闇の書に語りかける。
「闇の書、蒐集。我が魂を、その血肉とせよ」
『Sammlung』
ページがめくられ始め、同時にシャマルの胸から光輝く結晶が浮き出す。
自らの魔力を吸い込む闇の書の姿を見た後、彼女は主に向かって微笑んだ。
「お慕いしております、クラウス様。どうか――どうか、お元気で」
リンカーコアを失ったプログラムが、自己を保てずに拡散していく。
シャマルは、最後まで主の手を握ったまま、光の雪となって宙を舞い、溶けるように消えた。
次回予告
闇の書が完成し、真の主として覚醒する主クラウス。
自らの望みのために力を振るう彼を歓迎するべきであったはずなのに、ただ眺めることしか出来なかった。
私たちは――どうすれば良かったのだろう。
第7話 願い叶う時
次回も、どうぞ宜しくお願い致します。<
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