シグナムは、闇の書を閉じてため息をつく。彼女たちは、シャマルから伝えられる情報を元に、蒼の騎士を避けて蒐集を行っていた。デバイスを起動されていない間は察知できないものの、守護騎士たちを相手に武器なしで姿を見せたりしないだろうし、そしてヴォルケンリッターが出没する場所は戦場である以上、武装なしに現れる輩はいない。騎士に遭遇しないようにするのは容易だった。
(蒐集、553ページ、か。もう少しだな)
(ああ、急ごう)
(待って。もう二日間ほとんど出ずっぱりじゃない。少し休んだほうがいいわ)
シャマルの制止に、前線の守護騎士たちは顔を見合わせる。確かに疲労は溜まっていたし、カートリッジも残り少ない。
だが――事態は一刻を争う。
クラウスが、唐突に倒れた。原因は恐らく闇の書の侵食。
何が原因で、急激に侵食が進んだのかは分からない。分かっているのは、もう一度、同様に侵食が進んだ場合――彼の命が危ういということだ。
(主クラウスの様子はどうだ?)
(今のところ侵食は止まっているわ。意識は戻らないけれど、呼吸も熱も安定してる)
(そうか――)
(じゃあ、さっさと続きといこうぜ。どうせ、今のまんまじゃ気になってまともに休めやしねーよ)
(いや、一度休もう。三時間の仮眠の後、残りを一気に集める)
シグナムの意見に、鉄槌の騎士は彼女をにらみながらも黙った。
(シャマルも休め。アルベンハイムの家政婦も度々来ているのだろう?主殿のことは彼女たちにお世話になろう)
念話を終えて、シグナムたちは武装を解きながら転移魔法を行使する。
着いた先は、アルベンハイムの客室。すっかり彼女たち専用となった部屋。
その窓際、普段ならシャマルが座っている椅子に、別の人物が座っていた。
はちみつ色の髪。翡翠の瞳。薄い蒼のドレス。
彼女は、唐突に部屋に現れた守護騎士を、驚きもせずに一瞥し、立ち上がる。
ゆっくりとした動作でシグナムたち一人一人を眺めた後、薄紅色の唇を開いた。
「貴方たちを、止めに来たわ」
「――どういうことですか?アルマ殿」
尋常ではないその雰囲気に、守護騎士の将は気をひきしめながらも静かに問う。クラウスの姉は、返事の代わりに胸元からアクセサリをとりだした。
それは、十字の金属。
双剣をあしらった、小さなペンダント。
見覚えのあるその形に、ヴォルケンリッターは一斉に身構えた。
「こういうことよ。ヴォルケンリッター」
『Anfang』
デバイスの起動音声の後、アルマは蒼の双剣を手に、シグナムたちと相対していた。
「蒼の、騎士――!」
「一騎うちで、戦いを申し込みたい。どなたか代表者一人と戦って、私が勝った場合には――クラウスに協力するのを諦めて欲しい」
シグナムの中で、様々な考えが駆け巡る。
彼女は今、重要なことを口にした。
ヴォルケンリッターの名を使って、シグナムたちを呼んだ――つまり、シグナムたちが何者で、何をしようとしているのかを知っている。
そして、彼女が蒼騎士であるという事実。彼女と、クラウスがはめている指輪。彼女とヴィータが戦った時刻。
「いきなり訳わかんねーことを――」
噛み付こうとするヴィータを、シグナムが制する。紅の少女の代わりに、守護騎士の将は静かに口を開いた。
「交換条件は、何です?」
女性は左手を顔の前にあげる。その小指には、銀のリングがついていた。
「以前貴方たちと戦った時に使った、魔力増幅デバイスよ。私はこの指輪を使わない」
「……割に合わないな。その指輪を使って、貴女は私たち二人の実力と見積もっている」
ザフィーラの返事に、女性は動じることなく応じる。
「この指輪の魔力の源が今のクラウスだ、と言っても駄目かしら?私がデバイス起動状態で魔法を使うほど、あの子の魔力は私に奪われるわ。限度を超えれば、命も危うい」
やはり、とシグナムは思った。クラウスが以前倒れた時間も、それでつじつまがあう。
「信用できない?言葉での約束しか出来ないけれど、誓います。指輪を使わないことを、騎士の誇りと、この剣にかけて」
「それを外していただければ、信じよう」
「外れないのよ。きっと、クラウスのも外れない。そういう造りなの」
ザフィーラの要求に、アルマは、ひどく悲しそうな顔で説明をする。身に着けているものが不本意だと言わんばかりの表情だった。
「……応じましょう」
「シグナム!使わせる前にぶっ倒せばいいだけの話じゃねーか!」
「皆は、主クラウスの元にいて欲しい。――私を、信じろ」
シグナムのまなざしに、ヴィータは唇をかみながらも引き下がる。前の敗北が悔しかったに違いない。それを耐えてくれる彼女に感謝した。
「行ってくる」
守護騎士たちに挨拶をしてシグナムは改めてアルマと向き合う。頷きあった後、彼女たちは上空へ転移し、さらに無人の荒野へと移動した。
「ありがとう。感謝します」
「礼は無用です。私はこれから、全力で貴女を倒しますから。蒼の騎士――アルマ殿」
クラウスの姉は、にっこりと微笑んだ。
姿からはきっと容易には信じられなかった、蒼の甲冑の中身。
目の前の女性は淡い青のドレスで、城の中を歩きでもすれば、良家の淑女であることを疑うものはいないだろう。
しかし、今の彼女は触れれば切られそうな、鋭い空気をまとっている。美しい長髪は後ろに束ねられ、優しげなその瞳は、鋭くシグナムを射抜こうとしていた。
「一つだけ、聞いてもいいかしら。貴女たちは、何故あの子に協力をしているの?」
「私は、魔道書の――」
防衛プログラムだから。そう答えようとして、シグナムは口を閉ざして首を振った。
合ってはいるが――それだけではないからだ。
「……いえ。理由が、必要ですか?」
「そうね。ごめんなさい。その答えで十分よ」
アルマは微笑んで、短く呪文を唱える。
光があふれ、納まったときには、蒼の甲冑を身にまとった騎士がその場に立っていた。
「さあ――始めましょう」
その言葉を皮切りに、二人が互いに向かって突進する。
蒼と白銀の軌跡が空中に描かれ、ぶつかる。
周囲に激しい金属音が響き渡った。
*
ザフィーラは、ヴィータと共に主の部屋に駆けつけ、クラウスの様子を見ながらシャマルにも事情を話した。
「嘘――そんな」
蒼の騎士の正体に呆然とする彼女に、ザフィーラが首を振る。
「残念ながら、事実だ。そして、更に悪いことに、この話には続きがある」
「んな、どういうことだよ!?」
「アルマ殿は、我々のことをヴォルケンリッターと言った。それはつまり、闇の書のことや、我々自身のことを多少なりとも知っているということだ。そして彼女の様子から察するに、我々と出会った後に知った可能性が高い」
ザフィーラの話に、ヴィータたちも頷く。クラウスの姉は、嘘や駆け引きをよしとする人物ではなさそうだった。もしも彼女が守護騎士たちのことを知っていたら、もっと早くに自分たちを追い回していただろうし、にこやかに歓談などしなかっただろう。
「――って、ちょっと待て。あたしたちがあの人と初めて話したのって、たった二日前じゃねーか」
「その通りだ。そのわずかな間に我々の正体に零からたどり着くのは、不可能に近い。となれば、誰かから聞いたと考えるのが自然だろう。では、彼女にそんなことを教えることが出来る人物は、誰か」
クラウスを知っており、ヴィータたちと面識があり、アルマとも話ができ、そして、闇の書を知りうるだけの知識やコネクションを持つ人物。
その厳しい条件を満たす人間を、ザフィーラは一人だけ知っている。紅の少女にも同じ考えにいたったらしく、その名前を口にした。
「ベルンハルト――」
「だろうな。あの御仁のことだ、今になって動きを見せたのは何か意図があるのかもしれん。確かめておかねば、主殿に危険が及びうる」
彼らは頷きあって、今後の算段を立てた。ベルンハルトを訪ね、話を聞くこと。場合によっては彼を押さえつけること。
「ひょっとしたら、あの人のリンカーコアで蒐集が終わることになるかもしれないわね……」
「だとしても、やむをえまい。我らにとっては主殿の身が最優先だ。シャマルはこの場を頼む」
ヴィータが、クラウスの顔をそっと覗き込む。安らかな寝顔を見ながら、呟くように、彼女は言った。
「ごめんな、クラウス。あたしたち、酷いことをしようとしてる。でも、すぐに元気にしてやるから。だから――」
そこで、彼女は口をつぐんだ。
眉をしかめて、体を震わせた後、自身の頬を両手で叩く。
続きの言葉を語ることなく、彼女はザフィーラに向き直った。
「うし、行こうぜ」
ザフィーラたちはクラウスの部屋を出て、真剣な顔でベルンハルトの部屋におもむく。
大きな扉をノックすると、低いが良く通る声が、二人を招きいれた。
「――険しい顔だな。これから戦場にでも出陣するのか?」
「場合によっては、そうなるかもしれませぬ。アルマ殿に、クラウス殿の何を話したのか、その内容と、理由によっては」
「斬る――か。忠臣だ」
重厚な木の机に書類を広げていたベルンハルトは、ペンを置いて立ち上がる。
「君たちがここに来たということは、アレは君たちを止めに行った、ということなのだろうな。やめておけと言っておいたのだが、まあやむをえまい。質問に答えよう。何、いたってシンプルだ。アルマにはあのデバイスの効果をきちんと話していなかったのでな。クラウスから力を吸い取りすぎたようだから、釘を刺したのだよ。そのデバイスは不用意には使うな、とな。さもないと、弟が死ぬか――」
それとも、狂うぞ――と。
心臓が、不規則に跳ねる。
目の前の男は、今、何と言ったのか。
ヴィータが、ザフィーラの気持ちを代弁するように、途切れ途切れに言葉を口にした。
「何を、言ってん、ですか――」
「言葉の通りだ。ああ、厳密にはデバイスのせいではない。闇の書の所有者としての自我が保てなくなるかもしれぬ、という意味だ」
ドクン
彼の言葉で、握り締めていたこぶしに汗がにじむ。
この男は、知っている。
ヴォルケンリッターのことも、闇の書のことも。
そして、守護騎士たちですら知らない、何かを。
「だから、どういう、意味だって言ってんです!」
ヴィータの台詞に、ベルンハルトは興味深そうにあごをなでた。
「ふむ、そうか。――いや、やはり、と言うべきかな」
意味深な台詞。
その発言を問いただす前に、その男はザフィーラたちを翡翠色の瞳で見た。
「君たちは、闇の書の蒐集を終えた後、その主が何をしたか、覚えているか?」
唐突な質問に訝しがりながらも、ザフィーラは答えようと口を開く。
魔道書を完成させた主は、蓄えられた知識と魔力により、大いなる力を得、そして――
「……」
思い出せない。
彼は自分の体が強張るのを感じた。闇の書を完成させたのは一度や二度ではない。なのに何故、こんなに簡単な質問が答えられないのか。
ベルンハルトにとっては確認にも近い問いだったのだろう。守護騎士たちの表情を見比べながら、片方の眉を上げた。
「今更ではあるが、記憶が欠落しているらしい君たちに教えよう。少ないサンプルではあるが、闇の書の持ち主は、私が知りえた限り、例外なく発狂し、闇の書を暴走させ、その膨大な魔力で無差別破壊を行っている」
領主という立場から得るコネクションで知りえたのか、それとも魔道書に精通している一族を闇の書が選んだのか。ベルンハルトは次々とザフィーラたちの知らない情報を披露する。
「原因は分からん。しかし常識的に考えるのなら、闇の書のプログラムに、主たちがことごとく太刀打ちできなかったのだろうな。となれば、魔力の弱い持ち主は、真っ先に意識をのっとられかねない。今のクラウスのように衰弱していれば、闇の書完成前に暴走する危険も高かろう」
「ソレガ――」
低い声。一瞬、その言葉が誰から出たものかが把握できず、ザフィーラは視線を左右に走らせる。
その正体が隣の少女だと気付いたのは、次の声を聞いた時だった。
「それが、何だって言うんだ!」
ヴィータが肩を震わせ、ベルンハルトをにらみながら強い声で想いを吐露する。
「ああ、今までのことは分かんねえ。でもな、今の自分の主のことは知ってる。あいつが、暴走なんてさせたりするもんか。クラウスは、すっげえ優しいんだ。虫を殺すのも嫌ってくらいにな。そのあいつが、今、人を傷つけることを気にしながら、それでも闇の書を蒐集しようとしてる」
掌を握り締めて、彼女は力いっぱいに叫んだ。
「クラウスには、それだけ強い想いがあるんだ!狂うなんて、ありえねえ!」
その通りだ、とザフィーラは思った。
自分たちは闇の書の、そして主の守護騎士。
コノ程度ノ言葉デ、揺ライデドウスル。
「――同感だ。ベルンハルト殿、我々は主を信じています。過去のことは、あるいは貴方が言っている通りだったのかもしれません。しかし、主クラウスは、必ず真の主になる」
「そうか。まあ、そう答えるだろうとは思っていた。それで、どうする?ここに来たのは、話を聞くためではないだろう?」
ベルンハルトは、右手を顔の前にあげた。銀色の指輪が、彼の小指で輝く。先程見たばかりの、アルマがしていたものと同じリング型のデバイスだった。
「弟を操りかねない私を、倒しに来たのではないのか」
「やはり、貴方も持っていたましたか」
「ああ。これは切り札だからな」
クラウスの兄は、天井を指差しながら転移魔法を使い、光の中に消える。
ザフィーラたちが慌てて館の外に転移すると、上空には既に武装しているベルンハルトの姿があった。背を向けて空を飛ぶ彼を追いかけ、岩肌しか見えない山岳地帯で相対する。
「闇の書の完成まで残り何ページだ?そろそろ大詰めというところだろう。君たち自身のリンカーコアで完成させるのも一興というものではないか?」
守護騎士たちは返事の代わりに騎士甲冑をまとう。それを見たベルンハルトは、口を斜めにした。
『Anfang』
周囲に起動音声が響き渡った。
次回予告
私たちは、恵まれていました。一ヶ月と少しの間、主様と暮らしていた日々で、私たちは騎士でもあり、同時に人でもいられました。
しかし、その日々は、あの方のご家族と争ってなお、続けられるものなのでしょうか。
いえ――それでも信じています。主様が望みを叶え、幸せに暮らせる未来を。
第6話 666頁
次回も、読んでくださいね。<
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